「ジャワ人の起源(6)」(2023年05月11日)

ドロがクンデン山に登ったとき、スンボドは主人の荷物の番をしていた。ドロが王の命令
をスンボドに伝えたとき、スンボドは首を横に振った。自分が王から受けた命令は、この
刀を王以外の人間に渡してはならないということだった。おまえに渡せばわたしは王の命
令に背いたことになる。

何を言うか。王はわたしにその刀とこの刀を取り換えて来いと命じたのだ。王の命令を実
行しなければ、わたしは王に背くことになる。ふたりは押し問答を続けたが、どちらも折
れて出ようとはしない。スンボドがアイデアを出した。お前が荷物を運び、わたしが先に
王のところへ行って刀をお渡しすればいい。ドロは首を横に振った。わたしが刀を持って
先に帰って来いと命じられているのだ。

話しは平行線をたどり、感情の激してきたふたりは喧嘩を始めた。口喧嘩で終わらず、手
が出て足も出た。そして最後に刀を抜き合った。体力も互角なら剣技も互角。長い時間の
果てにふたりは相討ちになり、息絶え絶えになって地面に転がった。


なかなか帰ってこないドロに気をもんでいた王は、スンボドに与えた命令を思い出した。
しまった、思慮が足りなかった。クンデン山で何が起こっているのかを王は想像すること
ができた。王は急いでクンデン山に向かった。

スンボドに荷物の番を命じた山中の場所に着いたとき、王に忠実なふたりの従者は血まみ
れになって地面に転がっていた。ふたりはそれぞれが王にそのいきさつを語って息絶えた。
王はふたりの遺体の傍らで瞑目した。

瞑目から立ち上がった王は近くの巨木の幹を削って文を書いた。ha na ca ra ka da ta 
sa wa la pa dha ja ya nya ma ga ba tha nga。これはホノチョロコ、ドトスウォロ、ポ
ドジョヨニョ、モゴバトゴとジャワ語で発音される四行詩で、「使者あり、争う、勇敢な
る者、落命する」という意味だそうだ。その各音節はジャワ語に使われている音から成っ
ており、後にそれに合わせて文字が作られた。このジャワ文字は現代にまで引き継がれて
いる。ジョヨボヨ王は後になって、ムンダン王国の都をブローラから西方のプルウォダデ
ィに移した。


マラン王宮起源誌の内容をもっと細かく紹介すると、次のような内容になっている。
その昔、ジャワ島がまだスマトラ島と陸続きになっていた時代、ルム王国に偉大な王がい
た。王は自国の領土拡張を望み、近隣の無人島への植民を計画した。そして宰相を呼んで
この計画を話し、よい無人島はないか、と尋ねた。その種の情報に疎かった宰相は、よく
解りませんと返事した。王は宰相に、世情に詳しい巷の者たちを集めて尋ねてみよ、と命
じた。

宰相は部下を集めてこの話をした。気の利いた者が、パサルで船乗りや物識り、旅行者や
異国人を集めて聞いてまいりましょう、と言って出かけた。かれがパサルで尋ねると、ヌ
サクンダンという大きい無人島が野生のままの状態で東方の海に横たわっていると大勢が
言う。島の周りを一周するのに40日かかる大きい島で、大小の山があちこちにそびえ、
川もたくさんある。

その報告を受けた宰相は、これだ、と思った。さっそく王にそれを奏上すると、王はすぐ
に命を下した。早急に国民の男2万人女2万人をその島に植民させよ。渡航のための船を
用意し、植民する者には十分な資材を与え、気の利いた者を統率者に任命して海を渡らせ
るのだ。余の領土は大きく広がることだろう。


宰相は王国の知識層の間で著名なアジ・ケレルを統率者に任命した。かれは世界を広く旅
して博識をたくわえた人物であり、その旅を支えた行動力と観察眼の鋭さを持っている。
宰相はその植民プロジェクトの執行をアジ・ケレルに委ねた。自分の土地を持たないが家
族のいる2万人の男を妻子連れでヌサクンダンに移住させるのだ。

船と航海に必要な物資が2ヵ月かけて用意された。2万組の家族が家財道具を持って船に
乗り込み、満員になった船は次々に帆を上げてコロマンデル海岸を出発した。[ 続く ]