「ダウェッアユ(4)」(2023年05月11日)

アンクリガン作りたちはダウェッアユ用のものを作るとき、kanthilの木をマレンの像の
ための材料に限定している。カンティルという名前の木はマグノリアのことで、香しい大
型の花が咲く。インドネシア語ではチュンパカと呼ばれるのが普通だ。

このカンティルというジャワ語は「ぶら下がる」や「くっつく」という意味を持つ常用語
であり、縁起担ぎがその発想の根拠になったことを感じさせてくれる。


バンジャルヌガラのダウェッにどうしてayuという言葉が付けられたのか、はっきりした
ことはよく分からない。1960年代のムナルジョさんの時代に、既にダウェッアユと呼
ばれていたのだろうか?

ジャワ語のayuは美しい、きれいな、といった意味で、同じジャワ語のhayuと語根を同じ
くしているそうだ。ハユは平和で安寧の、あるいは発展し豊かな、という意味を持ってい
る。インドネシア共和国独立記念日を祝う言葉としてDirgahayuというものをわれわれは
よく耳目にする。そこに使われているハユがそれだ。ちなみにdirgaは長いという意味を
持っているそうで、平和や豊かさが永続することを祈願する言霊をわれわれはそこに感じ
ることになる。

インドネシア語に詳しい読者は語順がおかしいと思われるかもしれない。ディルガハユは
サンスクリット語の語順になっていて、MD法則が適用されている。

インドネシア語に摂り込まれたアユは美しく魅力的な、あるいは美しく品のある、という
語義になっているものの、アユという言葉がインドネシア語として使われるケースに接し
た心当たりがわたしにはない。どうもジャワ人がインドネシア語を話す時にジャワ語の語
義と用法で使っているのが実態ではないかという気がするのだが、それをもってアユとい
うインドネシア語が存在するという根拠にしているのであれば、学術センスよりも恣意の
匂いをわたしは嗅いでしまいそうだ。


ダウェッバンジャルヌガラという名称がダウェッアユバンジャルヌガラになり、マレンの
像がアイコンになったのはスハルト第二代大統領が勧めた結果だと語る作り売り人がいる。
しかし一方では、アユという言葉はそれ以前から使われていて、その由来は作り売り人が
美人のお姉さんだったからだと言う作り売り人もたくさんいる。

スハルト大統領とバンジャルヌガラの関りは1989年に完成したムリチャ水力発電所が
取り持ったものだ。大統領はこのダムと発電所建設に力を入れ、1974年のダム工事開
始の際、ダム用地の中心に永久礎石を埋める儀式を行い、自らの手で石を埋めた。

稼働開始を宣する1989年のオープニング式典で宣言者である大統領にダウェッのおや
つが供されたとき、大統領はそれを食べて気に入り、今後はこれをダウェッアユと呼んで
全国に広まるように努めなさいと勧めたそうだ。

加えてマレンのアイコンは大統領が考えた掛詞ではないかという意見もある。マレンはジ
ャワ語で乾季のはじまりを指す言葉であり、暑い乾季に喉の渇きを癒すものとして冷たく
甘いダウェッアユがぴったりであるという掛詞を大統領が考え付いたというのがその意見
だが、アユの名の由来もワヤンのアイコンも諸説紛々の中のひとつであって、有力な定説
として確立されているわけではない。


2011年のルバラン帰省時にコンパス紙R&Dがジャカルタから帰省するひとびとの行
く先を調査したことがある。州別に見るとジャカルタに接している西ジャワ州が大多数を
占めた。第二位はその次に近い中部ジャワ州が上がったのだが、州内町別の順位はバンジ
ャルヌガラがトップになっていた。その結果を見た者はだれもがうなずいた。道理でダウ
ェッアユの作り売り人がジャカルタにたくさんいるわけだ。

バンジャルヌガラを故郷にするひとびとが大勢ヌサンタラの各地に散らばっている。かれ
らはたいてい住み着いた町で、ダウェッアユの作り売りを商売にする。おかげでダウェッ
アユはメダンのヘルヴェティア通りからパプアのアベプラモールに至るまで、どこででも
食べることができる食べ物になった。[ 続く ]