「ジャワ人の起源(10)」(2023年05月17日)

ジャワ人も他の諸民族と同様、自然の中に生まれた。最初かれらは密林の中で不定住生活
を送り、過酷な自然と獰猛な野獣の間で生き延びるために全力を注いだ。その戦いの中で
かれらは自分に向かって来る者の力を知り、また自分自身の力を知った。

自分が倒されるかもしれない自然の力を前にして、目に見えない者がその力を動かしてい
ることをかれらはそこに感じた。いわゆるアニミズムというものだ。アニミズムはフェテ
ィシズムとスピリチュアリズムを包含している。物体が魔力を持ち、祖先や異界の霊が人
間の生に影響を及ぼすのである。

ジャワ人が自然から習得したそれらのメカニズムは先祖代々の集合記憶として相伝された。
長い歴史の中でジャワ人のほとんどがフォーマル宗教の信徒になったとはいえ、古代から
伝えられてきた集合記憶がフォーマル宗教によって消されることは起こらなかった。ジャ
ワ人の大半はイスラム教徒になったにもかかわらず、かれらにとってのイスラム教はセレ
モニー宗教の色合いが濃く、宗教的な知識や理解は浅いレベルにとどまっている。


注意深いオブザーバーなら、ジャワ人の信仰が人さまざまで、また内容がごちゃ混ぜにな
っていることに気付くだろう。ジャワ人イスラム教徒の宗教行為はバラモン教・仏教・魔
術・二元教や自然信仰の影響をたくさん受けている。ジャワ人はいまだに大勢がprimbon
やpetanganに従って宗教儀式を営んでいる。プタガンとは仏教やペルシャの宗教にある神
々や聖なる存在への礼拝儀式に由来する教えだ。

ジャワ島にイスラム化が起こったとき、イスラムは従来の信仰に従ってヒンドゥ・バラモ
ン・ブッダなどいくつかのセクトに分裂した。インドで興ったそれらの宗教はその信徒が
ジャワへ移住したときに持ち込んできたものだ。イスラム化の波にさらわれることなく伝
来の宗教を維持し続けた者たちは、イスラムに改宗したひとびとからバダウィやバドウィ、
あるいは盗賊などと呼ばれた。


1920年ごろのジャワ人の信仰はTiang Tenger、アニミズム、イスラムに大別される。
ティアントゥ~グルというのはヴァイシャカーストが古い時期に持ち込んだバラモン教に
由来している。14世紀にイスラム教がジャワに広がったときも、かれらはイスラムへの
改宗を拒んだ。ところが16世紀にペルシャ人ヒンドゥ教徒がジャワに逃れてきたとき、
元のバラモン教はペルシャヒンドゥに塗り替えられた。

アニミズム信仰者はジャワの原初的信仰を奉じているひとびとだ。イスラム化の波に?ま
れなかったかれらをイスラム教徒はTiang Pasekあるいは無宗教者と呼んだ。

ジャワ人の大半はイスラム教徒になったものの、従来の信仰を無にして純粋なムスリムに
変化した者はあまりおらず、従来の信仰を保ったままイスラム教徒になるという折衷行動
を執った。したがって、純粋なイスラム教徒にならなかった折衷派は様式別にいくつかの
セクトに分類することができる。

*バラモン教や仏教的なイスラム教徒
*魔術や二元教を踏まえたイスラム教徒
*アニミズムの色彩を持つイスラム教徒

ピーター・ヨハネス・フェッツ教授はそれらの折衷派がkejawenの内容であると定義付け
た。クジャウェンの信徒はいまだに確固としてその信念を保っている。(今とはファン・
ヒンがこれを書いた時代のこと)

フォーマル宗教というポイントからジャワ人の信仰を眺めるなら、かれらの宗教は古い昔
の教えが混じり込んだものになっているために純粋な宗教と見なすことが困難だ。この折
衷型信仰の教本としてプタガンというものがある。プタガンはジャワ人の宗教生活におけ
る規範を教えるとともに、日常生活における諸判断のよりどころにもなっている。
[ 続く ]