「イワッペイェ」(2023年05月19日)

ライター: インドネシア大学文化科学部教官、カシヤント・サストロディノモ
ソース: 2012年6月22日付けコンパス紙 "Iwak Peyek" 

ほんの偶然だったのか、それともトリオマチャンの歌Iwak Peyekにインスピレーションを
得たのか、中部ジャワ州グロボガンの小学生マスリクンが「とうもろこし飯を食べる」と
いう詩を書いた。

5月30日付けコンパス紙の児童欄に掲載された詩は次のような内容になっている。
Setiap berkunjung ke rumah Nenek
Aku menikmati nasi jagung
Lauknya pepes petai dan rempeyek
Perutku tiba-tiba merasa kembung

一方トリオマチャンの歌の歌詞はこうだ。
Iwak peyek, iwak peyek, 
iwak peyek, nasi jagung
sampek tuwek, sampek nenek, 
Trio Macan tetap disanjung
そのどちらにもpeyek別名rempeyekがトウモロコシ飯のおかずとして登場する。

実際、ルンペイェはどんな飯にもよく合うおかずだし、ガド式にそれだけクリピッのよう
な食べ方をすることもできる。(訳注:ガドとは飯のおかずを飯なしで食べること)

rempeyekは国語センターのKBBIにも採録されている。その語義はこうだ。
penganan (lauk) terbuat dari tepung dengan kacang (udang dan sebagainya), digo-
reng dalam bentuk pipih

つまり、この人気のある大衆食品の名前は既にインドネシア語として認定されているとい
うことである。一方、イワッは依然としてジャワ語のままの、淡水魚であれ海水魚であれ、
あらゆる種類の魚を意味する単語だ。ちりめんじゃこのiwak teriから巨大なクジラのiwak 
pausに至るまで、iwakはインドネシア語のikanに対応している。


ところが面白いのは、ジャワ人の頭の中でイワッが常に魚のイメージになっているわけで
はないことだ。イワッは動物の肉を指しても使われる。鶏肉がiwak pitik、ヤギ肉はiwak 
wedus、牛肉はiwak sapiという使い方もなされていて、英語で言うところのfishとmeatの
区別がなされていない。

おなじようなことはrotiという言葉にも起こっている。小麦粉を練ってから焼いて作るパ
ンは普通roti tawarとroti manisに別れているが、rotiという言葉はさらに生菓子にも焼
き菓子にも使われる。kue pisangやkaasstengelなどの小麦粉とチーズで作るものさえロ
ティと呼ばれている。パンもクッキーもいっしょくただ。


で、イワッペイェはどうなのか?もしもKBBIが例をあげているようにエビが使われて
いれば、そう呼んでもそんなに外れているわけでもない。まあ普通はチリメンジャコが小
麦粉の薄い毛布に包まれて揚げられているものなのだが。

しかしもしもルンペイェが豆を載せたものであれば、それをイワッと呼ぶのはおかしいこ
とになる。さあ、そこに一部のジャワ人が行なっているイワッの拡張用法が出現するので
ある。魚や肉が使われていないおやつやおかずにもイワッという言葉が付けられるのだ。

こうしてiwak peyekの他にもiwak tempe, iwak tahu, iwak lenthoなどが出現する。roti
の場合も同様で、roti tiwul, roti getuk, roti sawutなどが登場するが、パンなどどこ
にもないということも起こる。


トロウォル村のマスディクンが作ったような子供の詩は普通、実体験から本人が感じたも
のが語られる。つまりその詩に従うなら、ルンペイェとトウモロコシ飯(多分ロティティ
ウルも同じだろう)はいまだに依然としてジャワの田舎の村で食されている食べ物あるい
はおかずのひとつであると思われる。

親は食事を食べようとしない幼児に食べさせるために、「イワッテンペで食べるよ」と語
りかける。イワッの言葉が呪文となって子供に食べる気を起こさせるのを期待しているの
だ。トレちゃんがぐずぐず言って泣いていると母親が「明日、市場でバッスリップが作っ
たロティグトッを買って来るからね。」と言って慰める。

われらが同胞である一部のひとたちがフードセキュリティをうまくやりおおすためのツー
ルとしてイワッやロティという言葉を使っていることが読み取れる。見方を変えるなら、
それらの言葉は生きることの喜びがまだ明白な形になって実現されていない段階における
夢の役割をよりたくさん果たしているのかもしれない。

ダンドゥッ曲「イワッペイェ」がテレビで、そして市場で大ヒットしたことで、作曲者・
歌手・プロデュ―サーには報酬の洪水が起こったにちがいあるまい。しかし決して忘れな
いでほしいとわたしは念願する。その曲のインスピレーションは「豊かに?栄する」と言
われているこの国の生活の場に生じているイロニーから得られたものであるということを。