「ジャワ人の幽冥界(1)」(2023年05月23日)

ファン・ヒンH.A. Van Hienはジャワ人の宗教と霊的世界に関する観念を調査して、18
96年に「ジャワ人の霊的世界De Javaansche geestenwereld」と題する書物を著した。
その中に、ジャワ人が抱いている死後の世界に関する観念が説明されている。

ファン・ヒンの分析によれば、ジャワ人の信仰はTiang Tenger、アニミズム、イスラムに
大別される。ティアントゥ~グルというのはインドのヴァイシャカーストが古い時期に持
ち込んだバラモン教に由来している。14世紀にイスラム教がジャワに広がったとき、テ
ィアントゥ~グルはイスラムへの改宗を拒んだものの、16世紀にペルシャ人ヒンドゥ教
徒がジャワに逃れてきたとき、元のバラモン教はペルシャヒンドゥに塗り替えられた。

アニミストはジャワの原初的信仰を奉じているひとびとであり、イスラム化の波に?まれ
なかったかれらをイスラム教徒はTiang Pasekあるいは無宗教者と呼んだ。

ジャワ人の大半はイスラム教徒になった。とはいえ、従来の信仰を無にして純粋なムスリ
ムに変化した者はあまりおらず、従来の信仰を保ったままイスラム教徒になるという折衷
行動を執った。したがって、純粋なイスラム教徒にならなかった折衷派は様式別に
*バラモン教や仏教的なイスラム教徒 
*魔術や二元教を踏まえたイスラム教徒 
*アニミズムの色彩を持つイスラム教徒
というセクトに分類することができる。そうであれば、現代ジャワ人が持っている死後の
世界の観念の中に、どのセクトであれ、ジャワの原初的なものが影響をもたらしている可
能性が推測される。その原初的なものをもっとも濃く残しているティアンパセッの観念を
ファン・ヒンは次のように解説した。


ジャワのアニミストが抱いた死後の世界の観念については、Serat Kadilanguや他の古文
書が参照資料になる。そこには人間の生命がAtma・Kama・Pranaで構成されていることが
述べられている。それぞれは力・意欲・呼吸を意味している。それとは別に人間の肉体は
Manas・Manasa・Jiwaを与えられていて、それらのすべてがKama Rupaを生み出している。

コモルポとは人間としてそうあるべき姿と内容を備えた人間を意味する言葉だ。ちなみに
マナスは思惟、モノソは理解、ジウォは霊魂を指しているが、ジウォは場合によって精神
活動を意味することもある。


人間が死ぬとその翌日から肉体の腐敗が始まり、wetalaが肉体から離れ始める。ウェトロ
の語義は皮という意味だが、これは人体を構成している具象的な皮でなくて霊魂の皮のこ
とだ。ウェトロは人間の形のまま遺体から離れるものの、欲求も考えも持っていない。場
合によって、それは星気体の形になることができる。

プロノは生を成り立たせていた動きを止める。死の三日後にアッモ・コモ・マナスはモノ
ソとジウォとひとつになり、遺体と同形の膜に包まれて遺体から離れる。その膜はきわめ
てかすかで非可視的なものであり、それはLinga Shariraと呼ばれる。

星気体と同じように、リンガサリラには生きていたときのように願望や欲望が付着する。
リンガサリラは天女に導かれてkama lokaに向かう。コモロコは死者の霊が第一天上界に
移るための準備をする場所だ。7日かけて移動する旅路の果てにコモロコの境界線に着い
たとき、リンガサリラの膜は脱落する。


コモロコに入るには、目に見えないSirat al mustakinという橋を通らなければならない。
シラタルムスタキンはNarakaと呼ばれる千尋の谷底の上にかかっている。この橋を支える
構造には女の髪の毛を7つに割ってそれを編み合わせたものが使われており、強度を期待
することができない。

生前、悪に親しみ、欲望を甘やかし、利己的願望を追及していた者の霊魂はたいへん重く
なっているため、この橋を渡るときにナロコに落ちてしまい、コモロコに入ることができ
ない。ナロコには自然界の霊がいて、自分に与えられた仕事を忠実に果たしている。

ナロコで十分に罪の償いがなされた霊魂は重さが減って軽くなり、上空に浮かび上がって
くることができる。そしてふたたびシラタルムスタキンを通ることになる。橋が落ちない
くらいの軽さになったとき、その霊ははじめてコモロコに入ることができる。たいへん軽
い霊はまるで中空を浮遊するように橋を通るから、橋を踏むことすらないという話だ。ナ
ロコで十分体重を落としてくれば、橋を踏んでも女の髪の毛が支えてくれるということな
のだろう。ナロコって、体重減量のためのジムだったのか?[ 続く ]