「ジャワ島妖怪大全(1)」(2023年06月05日)

昔、han-tuという音節を逆転させるとtu-hanになるというジョークを耳にすることがしば
しばあった。幽霊が逆立ちすると神になるというジョークはインドネシア人にしかわから
ないだろう。しかしレミ・シラド氏によればtuhanはムラユ語のtuanから作られたものだ
そうで、サンスクリット語に由来するhantuとは縁もゆかりも持ち合わせていなかった。

サンスクリット語のhantuはLet's kill!の意味だそうだ。そんなことをされたら化けて出
るのも当然の振舞いになるのではあるまいか。


日本語インドネシア語辞典には「幽霊」に対応するインドネシア語としてhantu, makhluk 
halus, roh gentayanganが掲載されている。筆頭者としてハントゥを指名しておけば、ま
ずあらかたの用は足せるにちがいあるまい。

ところが日本語「幽霊」の語義は1 死者のたましい。2 死後さまよっている霊魂。恨み
や未練を訴えるために、この世に姿を現すとされるもの。となっていて、インドネシア語
hantuの意味とあまり正確に合致していない。KBBIによればhantuの語義はroh jahat 
(yang dianggap terdapat di tempat-tempat tertentu)であり、これだと日本語「幽霊」
の概念に含まれるものの一部を指しているだけのように思われる。

rohの定義は「生き物の体内に宿る生命」が第一義であり、第二義にmakhluk hidup yang 
tidak berjasad tetapi berpikiran dan berperasaan (malaikat, jin, setan, dsb)と記
されており、どうも日本語の幽霊という語義はインドネシア語のroh gentayanganのほう
により近いように思われるのである。


makhluk halusは目に見えない生き物の意味であり、penampakanが起きたときに幽霊と呼
ばれる存在になる者がこの中に含まれているということになりそうだ。つまり幽霊の潜在
性を持つ者を中に含んでいるカテゴリー名称になるのではないか?

この不可視生物カテゴリーにはアラジンの魔法のランプに住んでいる魔神も含まれるよう
に思われるが、日本語で魔神・魔人と呼ばれているこのジンを幽霊と呼ぶ日本人はいない
だろう。ところがインドネシア語では、ジンをハントゥと呼ぶ者がいるのだ。


インドネシアでハントゥと呼ばれている皆さんの姿を拝見していて、どうもこれは日本語
の妖怪のほうに近いのではないかという気になってきた。日本語の妖怪の語義は広辞苑に
よれば、「人知では解明できない奇怪な現象または異様な物体。ばけもの」と解説され、
ネット辞典サイトでは「人の理解を超えた不思議な現象や不気味な物体」と定義付けられ
ている。

しかしハロルド・フォースター氏がジャワで聞き集めたプンティアナッなどの怪異をかれ
は英語でspiritあるいはghostと書いていて、われわれを幽霊の概念に導いてくれるわけ
だが、その内容を見るとどうも日本語としては妖怪と呼ぶほうが妥当なのではないかとい
う気になるのである。medi pocong, cumpelung, banaspati, lamphor, kemamangたちは幽
霊と言うよりも妖怪なのではあるまいか。


それでふたたび日本語イ_ア語辞典をひもとくと、妖怪に対応するインドネシア語として
momokとhantuが記されていた。KBBIでmomokはhantu(untuk menakut-nakuti anak)と
いう語義になっていて、子供を怖がらせるためのハントゥという目的論的な言葉にされて
いる。普通momokという言葉は危害を加える得体のしれないものというニュアンスで使わ
れることが多く、それこそ妖怪の語感にぴったりではないかと思わせてくれるので、わた
しはこの辞典編纂者の見識の高さに脱帽したくなるのである。

ところがインドネシア語資料の中にmedi pocong以下をmomokと呼んでいる文は見つからな
かった。きっとこれは語義論理の問題でなくて言語感性の問題であるように感じられる。
得体のしれない怖ろしいものはmomokだが、pocongは形態が把握されるために得体がしれ
ており、怖ろしいという面だけが一致しているので、対応させるのに難があるということ
なのではないだろうか。[ 続く ]