「マドゥラ島の鉄道(前)」(2023年06月12日) オランダ人がマドゥラ島に軌道車両を走らせたのは、塩のなせるわざだった。マドゥラ島 がオランダ東インドの食塩生産センターに指定されるという政治決定がなされたとき、マ ドゥラの塩生産は繁栄の頂点にあった。長い歴史の中で、塩がマドゥラの経済生活に長期 にわたって豊かさをもたらしていた。たとえ、得られた富の大部分がオランダのものにさ れたとしても。 マドゥラ島に鉄道を走らせた民間会社Madoera Stoomtram Maatschappijは1897年に設 立され、東インド政庁からコンセッションを得て鉄路を敷いた。最初に開通したのはカマ ル⇔バンカランの18キロ区間であり、完成は1898年12月だった。その後、各区間 が次のように開通している。 1899年2月 タンバガン⇔カリアガッ 20キロ 1899年3月 バンカラン⇔トゥンジュン 5キロ 1900年1月 カプディ⇔タンバガン 24キロ 1900年2月 トゥンジュン⇔クワニャル 22キロ 1900年9月 タンジュン⇔カプディ 45キロ 1901年3月 クワニャル⇔ブレガ 33キロ 1901年3月 タンジュン⇔サンパン 15キロ 1901年7月 ブレガ⇔サンパン 15キロ これでカマル⇔カリアガッ間は全線開通した。 1901年の全線開通でカマル⇔カリアガッ間176キロを蒸気機関車にけん引された貨 物車と客車が一日に一便走った。カマル午前7時25分発、カリアガッ到着17時35分 という発着予定時間が1929年の資料に見られる。その所要時間の長さはいったいどう いうことなのだろうか? この鉄道が塩の輸送を重視していたために、塩の生産地に設けられた駅での塩の積み込み 作業に取られる時間をたっぷり読み込んだ運行スケジュールだったのだろうか。走行スピ ードがそんなに遅いとはいささか考えにくいように思われる。 しかし1980年代まで続けられたマドゥラ島蒸気トレムの走行が信じられないくらい遅 かったことをバンカラン住民のひとりは次のように述懐している。バンカラン→カマルの 18キロですら3時間もかかった。バンカランからパムカサンへ行くのにトレムを使うと 一日仕事になった。バンカラン発正午12時のトレムに乗ると、パムカサン到着は19時 半になった。 そんな蝸牛の歩みに似たトレムではあっても、学校や職場と家との往復にトレムを使うひ とたちも決して少なくはなかった。サンパンの住民のひとりは1970年代に毎日トレム に乗って学校に通った思い出を物語ってくれた。かれの家には自転車が1台しかなかった。 その自転車を父親が通勤に使ったので、かれは2歳年下の弟と一緒に毎朝学校まで、サン パンからトルジュンまでのおよそ9キロをトレムに乗って通った。 かれの奥さんは少女時代、母親が頻繁にトレムの中で物売りをしていたことを記憶してい る。「母はウラップ、アンピヤン、ルプッ、ピーナツなどをサンパン発バレガ行きのトレ ムに持ち込んで売っていましたよ。」 パムカサンでカラパンサピが催されるとき、トレムは鈴なりの乗客を乗せてパムカサンに やってきたそうだ。蒸気トレムはマドゥラ人の足としての役割を十分に担っていたように 思われる。[ 続く ]