「非父権的なジャワ女性(2)」(2023年06月15日)

家に残る女児は自分が将来果たすべき家長の役割を、自分がなるべき家長の姿を、自分の
ものにしようと努めた。母系制社会は人間を成熟させる傾向を強く持つ社会なのかもしれ
ない。子供を依存心理から脱却させるのに、母権社会はきわめて有効なものではないだろ
うか。


マドゥラ人も元々は母系制社会を営んでいた。男女が結婚すると、夫は妻の家族の中に入
るのである。マドゥラ人の伝統文化にtanean lanjengあるいはtaneyan lanjhangという独
特の住居スタイルがある。マドゥラ語のタネアンは庭、ランジャンは長いを意味し、敷地
中央の長い庭がマドゥラ族の住環境をシンボライズしている。

タネアンランジャンはひとつの区画の土地に大家族が住むときの家屋配置構成パターンを
示す言葉だ。土地は普通、東西方向に長く、南北方向に短い長方形をしており、西の端の
中央にイスラム礼拝所のスラウが設けられる。礼拝所の傍に家長が住む主館が建てられ、
主館に並べて区画の北側に子館が必要に応じて建てられる。その建物の列はすべてが敷地
中央にできる東西方向に細長い庭、すなわちタネアンランジャンに面することになる。


結婚した夫婦が独立すると、自分の土地を持ってから最初に主館を土地の北西角に建てる。
そして間を置かずにスラウ、さらに台所や家畜小屋も建てられる。この夫婦に娘が生まれ
ると、夫婦は娘のための遺産として家を建てなければならない。娘が結婚したときに夫と
一緒に住む家だ。それは主館の東側に南向きで建てられる。

娘がたくさん生まれて東側に子館を並べる余地がなくなると、主館の対面に北向きで建て
られることになる。そのあとはまたその東側に、今度は北向きで建てられる。複数の家屋
が二列で東西方向に並ぶわけだが、家屋と家屋の間に隙間を空けた構造にする一家もあれ
ば、壁と壁をくっつけて作る一家もある。

敷地の中央を細長い庭にし、建物を北と南に並べて中央の庭をはさむ。そして西端のスラ
ウと敷地内への入り口が細長い庭を隔てて対峙しているのがタネアンランジャンと呼ばれ
るマドゥラ独特の家屋配置パターンなのである。


現代ジャワ文化が父権制の色濃いものであることは誰もが同意している。だが、ジャワ人
が太古の時代からそうであったかどうかについては確信が持てない。

ジャワ人のジェンダーシステムは王宮が核になって庶民層のライフスタイルの中に浸透し
た。プリヤイ文化がプリヤイでない庶民層のお手本になったと言える。王都で起こったこ
とが離れた田舎の村にまで浸透して行くのは、文明の高低差がもたらす法則のようなもの
なのだろうか?

男はパブリック、女はドメスティック、という棲み分けのディコトミ―が厳格に定められ
た。男は外で物資を作る生産活動を行い、あるいは社会構造の中で地位を獲得し、男がそ
の仕事を果たすように女は家内で男を支援するという役割分担が設けられたことで、女は
二級の性に落とされた。二級の劣性は服従・忠実・あらゆるものを柔らかく包み込む優し
さを持つことが絶対視され、それは社会生活の中で個人の価値を定める基準になった。

控え目で、自己主張をせず、常におとなしくしていて、決して男の真似をしない。男が必
要とする時すみやかに出現して男を助ける。そのために常に男の後に従い、後ろから男を
支えるkonco winkingが男優女劣社会における理想の女性像にされた。ジャワ語のコンチ
ョウィンキンはインドネシア語にするとsahabat di belakangとなる。サハバッがどんな
ニュアンスを帯びているかは、ひとによって違っているかも知れない。


木に登る女をジャワ人はsaruと呼んだ。スカートを履かない女はサルと呼ばれた。このサ
ルというジャワ語は、ふさわしくない、妥当適切でない、という意味だ。もうひとつ別の
意味があって、姿かたちがはっきりしていない様子を表わす形容詞でもある。扮装したり、
別のものの振りをすることをmenyaruと言うから、奥底で意味がつながっているような感
触がある。[ 続く ]