「非父権的なジャワ女性(終)」(2023年06月19日)

2016年4月、首都ジャカルタの大統領宮殿の表で9人の村人女性が木箱に両足を入れ
て立ち、上からセメントを流し込んで沈黙のデモを行っている姿が見られた。煎るような
日射と排気ガス渦巻くモナスの一角で、ジャワの農民傘であるチャピンをかぶった雄々し
い9人の女性が一列に並んで立ったのである。

中部ジャワ州ルンバンとパティにセメント工場が建設され、セメントの素材としてカルス
ト台地で形成されているクンデン山系を切り崩すことが行われているのに対する抗議のア
ピールがそのデモ行動だった。

村人たちは生命の源泉である自然水の汚染と生活環境の破壊に抗議するため、大統領にカ
ルスト台地破壊の中止を訴えた。足をセメントづけした9人の中年女性たちに同情が集ま
った。世の中の関心を引く手段としては成功したと言えるだろう。新聞はかの女たちをク
ンデンの9人のカルティ二と呼んだ。


ソスメドにこの話題があふれた。ネティズンのコメントがネット内を飛び交った。テレビ
も特集番組を組み、著名人からのコメントを取り上げて電波に乗せた。コメントのひとつ
に、ディアンドラ・パラミタ・サストロワルドヨが述べた言葉が世間の関心を呼んだ。
「クンデン山系のセメント問題がそれほどシリアスなものであるのなら、どうして女性が
やってきてデモをしているのかしら。お父さんがた、男性がたはどこにいるの?」

ジャワ島のジェンダー状況を知っている者は、たいていが同じ意見を抱いたのではあるま
いか。政治権力に向けられる抗議行動はパブリックなものなのであり、そこは二級の劣性
にとってのハビタットではないのだ。だがそれはタテマエ論を敷衍させただけのものでし
かなかった。ジャワを含めたインドネシアで政治権力に向けられる抗議行動は、男だけが
責任を担うものでなかったことが過去の歴史の中に示されている。

一時期ジャカルタで頻繁に行われた不法建築物撤去作戦は公共スペースを広範囲に占有す
るワルンやキオスあるいは屋台などの無許可建築物を一掃する大作戦であり、市庁行政警
察が中心になって何十人もの実働部隊を動員し、ブルドーザーまで繰り出して仮設建築物
を押しつぶす大規模な粛清行動を行った。

一掃される側もおとなしくしているばかりではない。場合によっては実働部隊との投石乱
闘も起こった。そんなとき、仮設建築物の女主人が捨て身の行動を起こすことがときどき
見られた。中年女性が上着を脱ぎ、ブラを外して、自分の店の前の地面に上半身裸の身を
投げ出すのである。それにつられて同じことをする女主人たちが何人も出た。しかしかの
女たちは実働部隊に担がれて安全な場所に移され、自分のワルンがブルドーザーに潰され
るのを涙で眺めるしかなかった。


デモの話に戻そう。デモにはクンデンの9人のカルティ二が行ったようなシンボリックな
ものがある。シュプレヒコールも大合唱もなく、静かにポスターを示し、自分たちの姿を
演出するだけのものだ。騒々しくないだけ、見る者の心に訴えかけてくるものが豊かにあ
る。一方で、大勢の人間を集め、垂れ幕を示し、叫び、唄う能動的なデモもある。モダン
なデモはたいていがこのスタイルだ。スピーカーを使って言葉とレトリックをがなり立て
る。ハードで荒っぽく、扇動的破壊的な性質を帯びている。

後者のデモは男の出番だが、前者のシンボリックなものは女性や未成年でも行える。あと
は女性がそのデモに出る気を起こすかどうかの問題になる。男優女劣のジェンダーコンセ
プトに縛られていれば、出る気を起こす女性は減るかもしれない。

クンデン山系はジャワ島北岸部にある。クンデンのカルティ二たちはパブリックとドメス
ティックのディコトミーを乗り越えた位置に自分を置いている女性たちにちがいあるまい。
[ 完 ]