「恐怖のマドゥラ人(2)」(2023年06月21日) マドゥラ人のそんな姿を見る非マドゥラ人が抱く印象は、ハードな生きざま、ひとつ転べ ば粗野で粗暴、非論理的・分からず屋・感情的、無秩序で礼節がない、傲慢、ジャゴアン と見なされることに憧れ、他人と騒ぎを起こすことを好む、といった付き合いにくい人間 になる。 在来パサルで商いをしている人間の中に、客が値引きを求めると怒る者、あるいはタワル ムナワルをして最初に言った値段を下げたにもかかわらず客が買うのをやめると怒りだす 者がいて、たいていそれがマドゥラ人であるという現実が上に述べた非マドゥラ人の印象 を裏付けるものになっている。 インドネシアの在来パサルではタワルムナワルが標準プロセスになっている。客が必ず値 引きを求めるから売り手は最初高く値段を言うのが当然のメカニズムなのだ。これは文化 の中に生まれた商習慣であって、日本人も何百年も昔は同じようなことをしていた。客を 搾取する意図で行われてきたことではない。 売買が勝敗を競う場になっていたという事実は、昔の人間が勝つことをどれほど希求して いたかという人間のさがを見せてくれているようで、とても面白い。日本語のオマケや値 段をまけるという表現はそのものズバリの言語表現だろう。タワルムナワルの開始は高い 値段になっていて、客が要求する値引き価格を受け入れてやることによって販売者が客に 勝利の歓びを与えるのがオマケの意味だ。 石にしがみついてでも相手に勝ちたい日本人がタワルムナワルを搾取のように言い、買い 手が負けたことを売り手の悪逆非道の行為のように非難する例が多々見られるのだが、日 本文化の中では他人をしのぎ、他人を見下して優越感に浸ることをレゾンデートルにして いる者がそんな態度をしていては情けないかぎりではあるまいか。東南アジア人と見れば 見下すのを習慣にしている者がクセノフォビアになって東南アジアで縮こまっている図は どう見ても自己矛盾しているように思えてしかたない。 客に対して高飛車に出るのはパサルのマドゥラ商人ばかりでない。寄付を求めて住宅地の 中を一軒一軒訪問する者の中にもマドゥラ人がいて、しばしば命令口調で金を出させよう とする。この手の寄付要求行為に対して住民はみんな「RT/RWの許可を取って来い」と言 って逃げるのが普通だ。するとマドゥラ人は「RT/RWじゃなくて、わたしゃあんたに寄付 を頼んでるんだ」と言って引き下がらない。 街道を通る自動車から寄付を集めようとするマドゥラ人グループは、道路の真ん中にドラ ム缶を置いて自動車が徐行せざるを得ないようにし、金を集める。運転者は走りにくくさ れた上に金まで要求されるのだから、そのやり口に腹を立て、うんざりする。こうしてマ ドゥラ人は自分さえ良ければよい連中だ、独善的なエゴイスト、他人を尊重しない、とい った種族評が世の中に流通するようになる。 マドゥラ人をターゲットにした笑い話もある。マドゥラ人がオートバイを運転していて警 官に止められた。運転免許証を警官が要求したから、マドゥラ人は免許証を見せた。写真 が違っている。マドゥラ人は「そりゃあわたしの兄弟のものだ。」と説明した。 「他人の免許証を借りて運転するのは違反だ。自分の免許証じゃないとだめだ。」と警官 が言うと、マドゥラ人が怒った声で言い返した。「あんたは何を言ってるんだ。兄弟だけ が免許証を持っていてオレは持っていないから、兄弟の間で貸し借りをしたんだ。兄弟間 で貸し借りをして何が悪い。あんたはそれが悪いことだと言ってる。あんたの言うことは 間違ってる。」 別のマドゥラ人がオートバイで赤信号を突っ切った。木の陰に隠れていた警官が飛び出し てきて停止を命じた。「赤信号は停止だということを知らないのか?」 「ああ、そのことなら知ってるよ。わたしが知らなかったのはあんたが隠れていたという ことだ。あんたは警官としてあるまじきことをしている。警官なら交差点に立ってなきゃ いけないだろう?」 [ 続く ]