「恐怖のマドゥラ人(4)」(2023年06月23日)

カラパンサピは二頭の牛に引かせたそりにジョッキーが乗ってスピードを競う動物レース
だ。マドゥラのカラパンサピは225メートルのトラックを20秒未満で走る抜けるそう
だから、牛は鈍重な動物だというイメージをマドゥラ人はきっと認めないのではないだろ
うか。


マドゥラの町々も現代化のあおりを受けて、画一的な町そして街のスタイルに移行しつつ
ある。道路交通・銀行・オフィス・勤め人・食事処・カフェなどの施設が街中を埋めるよ
うになった。サンパンの町には映画館がないが、それが現代化の障害にはならない。スマ
ートフォンを片手に持って目をそこに走らせる振舞いが今では現代人の習慣になっており、
マドゥラ人も同じことをする。

現代の町に不可欠な病理も、それを欠いては現代性が失われる。夜の歓楽や売春はカマル
の港に上陸したときから密やかに公然と繁栄を謳歌していて、歓楽の巷を持たない県はバ
ンカランからスムヌップに至るまでひとつもない。


マドゥラの4県はスラバヤ・マラン・パスルアン・ジュンブルなどに比べて犯罪発生がた
いへん少ない。強盗事件はほとんど起こらないそうだ。ただ、2000年代に入ってから
二輪四輪自動車盗難事件の増加が目立つようになった。とは言っても、スラバヤのように
一日5〜10件というようなレベルからはまだ遠いのだが。

マドゥラで昔から多い盗難事件は牛泥棒だった。特に村長選挙の時期に牛泥棒が激増した。
それは牛の持ち主が立候補者の中のだれに投票するのかという旗幟を鮮明にしないからだ
と言われている。ということは、それは本当の泥棒でなくて公職選挙に関連した政治的な
威嚇手段にされていることを意味している。マドゥラ社会では暴力選挙が大きな特徴にな
っているようだ。

古くは1971年にゴルカル政党がマドゥラ選挙区を独占しようとして、地元のやくざ者
を雇って有権者を脅迫した。すると他の政党も同じ方法で対抗した。それ以来、マドゥラ
では暴力選挙が普通になった。

実業家や金持ち階層も経済原理だけを信奉したわけではない。スムヌップ県カリアガッの
ガラム社と塩生産者の間で起こった塩田所有権の争いの中でも、ガラム社がやくざ者を使
って塩生産者を抑圧しようとした。マドゥラ島の工業化の手始めにカマルとバンカランの
土地払い下げが行われたとき、大勢のやくざ者がそこにからんだという話だ。

マドゥラ島のタバコ葉黄金時代に終焉をもたらした中央政府の商業統制が進められてから、
タバコ葉生産者は暴力主義の甘いターゲットの地位に落とされた。タバコ葉が稔るとやく
ざ者がやってきて、品物を仲買人のだれそれにいくらで売れと強制する。拒否すると畑が
荒らされて収穫に大影響がもたらされたり、あるいは人命が犠牲にされた。


総選挙の年には伝統的な暴力選挙に併せて、政党が全国的に行っている大衆動員手法もマ
ドゥラ島に持ち込まれた。封建的社会構造が根強く生き残っているマドゥラ社会では、社
会構造の核の部分をつかむことで大衆動員はいとも容易に行うことができた。

国民が自分の判断で政治体制を選択するネーションステートの実現はマドゥラ島でなかな
かおぼつかない状態が継続し、政治の腐敗した部分に操られる目先の利益主義が強固に選
挙の内容を決めているのがこの島の政治状況であると言えそうだ。


マドゥラ島の自然が全般的に荒野であり、農業に適した場所が小規模で分散していたこと
がネーションステートの枠組みを構築する社会性をマドゥラ島に容易に育成しなかった原
因ではないかと考えられている。自分の生活が狭い範囲の中で成り立っていれば、その範
囲の外にある世界との直接的なつながりを日常性の中で感じることを人間はしなくなる。

イマジンドコミュニティは情報流通の活発化がそこにブレークスルーを起こしたから生じ
たのではあるまいか。もちろん、いくら情報流通が盛んになってもつながろうとする人間
の意志がそこに存在しなければ、イマジンドコミュニティなどはイマジンドファタモルガ
ナにしかならないかもしれない。[ 続く ]