「恐怖のマドゥラ人(終)」(2023年06月30日)

マドゥラ文化オブザーバーはマドゥラ人の派手な色使いや濃い彩色あるいは濃い化粧につ
いて、自分を世の中に押し出し際立たせるためにしていることだと言う。「ハードな生き
方と激しい競争に満ちたマドゥラ社会で、ひとは自分の成功を、あるいは存在を世の中に
示すことに意欲を持つ。自分自身が自分の存在を歓びの心で受け入れるのは生きていく上
で重要なことだ。他人と自分との関係の中でしていることでなく、自分自身に対してして
いることなのだ」。

それはつまり、マドゥラ人にとって自分の姿を派手に飾ることは、自分を動く美術品にし
て他人に鑑賞してもらうためではないということなのだろう。


マドゥラ人の生活習慣の中に、上等なマットレスや食器類を持ちながら、それは飾りに置
いておくだけで自ら使うことをしないというものがある。だったらあくまでも飾りかと言
うとそうでもなくて、自分より社会ステータスの高い客にだけ使ってもらうために用意し
てあるのだ。

マドゥラ人は経済的な貧困社会の中に独特の価値観を作り上げた。たとえばどんなに小さ
な収入でも、正当に得られたものは公正な価値を持つものだという一項がある。やせ細っ
た労働機会と低効率に由来する低報酬のおかげで、どれほど高い労働意欲を持って粉骨砕
身してみてもたいした収入は得られない。だがしかし、その小さい金額は自分の総力をあ
げた努力と等価の価値を持っているのである。あぶく銭を惜しげもなくばら撒く姿を示す
マドゥラ人がまともな仕事をしている人間でないことはそこからすぐに判る。正しい道を
歩み、つつましやかな生活をしているマドゥラ人が惜しげもなく金を使うのは常識で考え
にくい現象ということになるのだ。


マドゥラ人の処世訓の中に「家で食事に糠を食っていても誰にもわかりゃしない。だが付
き合いや振舞いがちょっとでもおかしいと、すぐに世間の口の端に登る」というものがあ
る。

派手な服装や厚化粧が社会の中における個人の自己存在のデモンストレーションであるこ
とがそこにつながってくるように思われる。それが社会に対して自己を示すための姿であ
り、私的な暮らしぶりを自然体で見せているのではないということが言えるのではあるま
いか。

色の浅黒い若い娘が派手な色の服装や厚化粧をしているのを、非マドゥラ人は田舎者のセ
ンスの悪さという目で見がちだ。事業に成功した者たちの中に、歯に金冠をかぶせる者も
いて、非マドゥラ人は悪趣味という評価を与えがちだ。しかし本人の心の奥にあるのは、
「どうだ、これでわたしの存在に気付いただろう。」という意気地かもしれない。自分の
姿を他人の鑑賞物にする気など、これっぽっちもないということではあるまいか。


マドゥラ人の派手な色使いは中華文化に触発された可能性が感じられる。その傾向はもち
ろんヌサンタラ各地の沿岸部諸港でも見られるものだ。それらの土地を訪れると、オーナ
メントモチーフや色使いが中華風に感じられるものにわれわれはしばしば出会うことがあ
る。緑・赤・白・黄金の色の組合せはプチナンに行けば容易に見出すことができるだろう。
しかしマドゥラ漁船と似たような装飾を華人の小型漁船に見ることはない。[ 完 ]