「文化崩壊するマドゥラ人(1)」(2023年07月03日)

かつては種族別人口統計でジャワ、スンダに次ぐ第三位にあったマドゥラ人が2000年
には4位に転落している。2010年国民センサスによればマドゥラ人は人口718万人
であり、1930年の人口統計では430万人だったから、80年かけても倍増していな
いということになる。

1930年の全インドネシア人の数は6,072.7万人だったものが、2010年はご
存知の通り2億3,764万人にほぼ4倍増しているのだ。人口密度最大のジャワ島住民
人口は1930年に4千万人あった。2010年のジャワ+スンダ+ブタウィ+バンテン
等を合算すると1億4千5百万人になる。マドゥラ人にいったい何が起こったのか?


インドネシアの国民センサスの中で種族別国民人口はどのようにして算出されているのだ
ろうか?言うまでもなく、本人の自己申告方式が採られている。つまり各個人が自分を何
種族と規定しているのかがそこに示されているのである。本人の意思と無関係に誰かが決
めているということではないのだ。本人に自己申告させることによって、種族別人口の合
計が全国民人口と一致する結果になる。

本人は何を根拠にして自分の種族を決めるのだろうか?自分の身体的な特徴か、それとも
血統か?文化的な観念、と言うか価値観に従って血統を基準に置き、父親の種族を自分の
ものと言うひとがいるかもしれないが、自我の確立したひとならたいていが自分のアイデ
ンティティになっている種族文化を言うのではないだろうか?

たとえばミナン人の父親とスンダ人の母親の間に生まれた子供がバンドンで生まれ育って、
父親の故郷へはときどき連れられて行った体験しか持っておらず、仲間も学校もすべてス
ンダ人スンダ語スンダ文化の中にいるのであれば、その者は自分をスンダ人と規定する確
率が高いように思われる。自分の心情に反して父親の血統を自分のアイデンティティだと
言わせるような仕組みはインドネシアの国民センサスに組み込まれていないようにわたし
には感じられるのだ。


子供は親の庇護養育から離れると、次は社会がその子を育てて大人にする。その社会が持
っている価値観やスタイルが社会交際の中で教えこまれ、その社会の一員に作り上げられ
るわけだ。そのようにして作られた者は当然自分のアイデンティティをその社会に重ね合
わせるはずだ。自分が生まれた土地への郷土愛につながっているものかもしれない。

異文化が混じり合っている環境に置かれたひとびとは、自分の生活行動の中でいずれかの
文化に、本人が意図しないまま流されて行くことがしばしば起こる。それは血統や身体的
な外見とは関係がない。だが時にはアイデンティティを選択する機会が生じることもある。

たとえば、太平洋戦争が勃発してカリフォルニアやハワイの日系人が敵国人キャンプに収
容されたとき、純血日本人である米国生まれの二世や三世が米国を自分の祖国であると決
意して名実ともに米国人になろうとした実例を挙げてもよいだろう。かれらを集めた日系
人部隊が編制され、米軍の一部隊としてヨーロッパ戦線に送られた。さすがに太平洋戦線
には送られなかったようだ。


血統や身体的な外見などの人類学的要素の面から、中でも特に血統に焦点を当てて人種種
族の人口を把握する手法は人類学的アプローチanthropological approachと呼ばれている。
本人とは無関係に誰かが机上でさまざまな要因を勘案し、複雑な計算方法で数字を決める
ものだ。混血者も純血者もおかないなしに、その人種種族の血筋に該当する(と推定され
る)人間をその人種としてしまうのである。

混血者が自分のアイデンティティはそこでないと考えていたとしても、この手法が使われ
るとその者は一方的にその人種種族の中にカウントされることになる。ある総数の中の人
種種族区分にこの方式が使われると混血者は最低二度カウントされるから、総数の合計が
膨らんでしまう。総人口の中のある種族の人口というロジックにおいては、この手法は使
えないように思われる。[ 続く ]