「文化崩壊するマドゥラ人(2)」(2023年07月04日)

一方、インドネシアの国民センサスのように、ある総数の中で人種種族の区分を行う際に
用いられる手法はエスニック人口統計アプローチethnodemographic approachと呼ばれて
いるものだ。本人が自分のアイデンティティ意識を自己申告する方式だから一人の人間が
複数回カウントされることは起こり得ない。

この手法はもちろん世界中で行われていて、たとえばカリフォルニア州のヒスパニック系
人口やロンドンに住むインド系人口といったデータを総数内における比率というウエイト
で見たい場合はこの手法が使われなければ誤った結論が導かれる可能性が高い。

一方、全英国にインド系の子孫がどのくらいいるのかというデータの場合は人類学的アプ
ローチで得られる数字の方が妥当性を持つだろう。


だからインドネシアの華人人口がどのくらいあるのかという数字が混乱するのは、その二
種類を同一平面上に並べて見ているから起こっているのだとわたしは考えている。それぞ
れの数字がどちらの手法で得られたものかを認識してデータ間の齟齬を理解できている者
はどれほどいるのだろうか。かつてインドネシアの最新国民センサスの統計数字が発表さ
れたとき、インドネシア華人の数が意外に少ないというコメントをしたひとが日本人の間
に少なくなかった。その原因はそこに由来しているようにわたしは推測するのである。

言うまでもなくインドネシアの国民センサスの中では、華人系インドネシア国民もエスニ
ック人口統計アプローチ方式で算出される。ちなみに2000年国民センサスの華人系人
口は174万人で、2010年は283万人になり、10年間で109万人の人口増にな
った。1930年オランダ時代の人口統計によれば華人系のオランダ東インド住民は12
3万人であり、70年かけて50万人しか増えていないということになる。これらの数字
を単純に出生と死亡という自然現象による増減と考えるととんでもない誤解をすることに
なるだろう。

2000年のセンサスはオルバレジームが倒れてから二年足らずの時期に行われた。グス
・ドゥル大統領が法的に華人復権を行ったのは2000年1月のことであり、多くの華人
系国民がオルバの華人抑圧の空気に包まれながらセンサスに応じただろうことは想像に余
りある。プリブミとの混血である華人プラナカンがいくら自分のアイデンティティを中華
系と考えていても、かれらが正直にそれを公的なセンサスで表明するためにはもっと時間
が必要だったにちがいあるまい。われわれはそれを2000年と2010年の数字から感
じ取ることになる。


ところがその一方で、Chinese population in Indonesiaというデータが世の中に出回っ
ていて、およそ7百万人という数字が語られているのだ。この定義は祖先がインドネシア
に渡って来た華人というものであり、つまりは血統コンセプトが基準に置かれていると理
解される。これが自己申告を集めたものでないのは明白だろう。

混血者は最低ふたつの血統を持っていて当たり前だ。親が混血者であれば、ふたつどころ
ではなくなるはずだ。二〜三百年前に東南アジアに渡来してきた純血華人がマラッカでポ
ルトガル系・バングラ系・ムラユ系の混じったプラナカン娘を妻にし、その夫婦がスマラ
ンに移り住んで子供たちがジャワ系・スンダ系・オランダ系・マナド系・マルク系などの
混じった伴侶を持ったら、孫の血統を何系と言えばよいのだろうか?

その家のライフスタイルが中華文化で営まれているためにかれらが中華系と呼ばれている
のではなかったろうか。血統をフェアに位置付けるかぎり、血統面からかれらを中華系と
呼ぶための根拠としていったい何が使えるのか皆目見当もつかない。華人の血統がそこに
混じっているから中華だと言うのであれば、あまりも自尊的になりすぎないか?[ 続く ]