「文化崩壊するマドゥラ人(3)」(2023年07月05日)

わたしはいまだに、華人の血統を持つ人口が東南アジアのどの国に何人いるという数字デ
ータが何のために作られているのかがよく分からない。国家ロイヤルティの関連で、中国
の国外戦力のような観点からだれかがその数字を見ているのであれば、血統子孫が7百万
人いるというデータは戦略を立てる際に意味を持つかもしれない。中高生の中には、この
7百万人がインドネシアを乗っ取って中国の属国にするかもしれないと考える可能性もあ
りそうだ。そんな投稿がネット内に時おり垣間見られる。

だがしかし、中国への心的傾斜を持っている者はその三分の一程度しかいないということ
が283万人という数字から見えて来る。7百万という誇大な数字は何の役に立っている
のだろうか。

わたしの個人体験によれば、わたしはジャカルタでいくつかのムスリム華人家庭を目にし
ている。身体的特徴は東アジア人に酷似しているが、かれらはイスラム教徒であり、日常
生活もプリブミのように暮らしていて、中華文化の匂いは感じられない。中国語も話せず、
漢字の読み書きもできず、せいぜいブタウィ語の中の福建語由来の単語を使うくらいだ。
父親が中国系の雰囲気を持つ名前であったとしても、妻はたいていプリブミであり、子供
はイスラム名になっている方が一般的だ。このようなひとびとが7百万人の中にどのくら
い含まれているのだろうか。


東南アジアの華人人口に興味を持つ日本人はかなり存在しているように思われるにもかか
わらず、17世紀に東南アジアの各地に作られた南洋日本人町の末裔に対する関心はまる
で皆無のように見える。たとえ単なる理論的数値だけであるとしても、日本人の血統を持
つ日系人子孫がベトナムに、カンボジアに、タイに、インドネシアに何人くらいいるはず
だという論にわたしはいまだ接した記憶がない。華人の血統子孫には興味を持つ一方で、
日系人子孫については無関心というのであれば、この落差はいったい何を意味しているの
だろうか?

東南アジアのどの国にも、自分が日系子孫であるという意識を持つ原住民がほぼゼロだか
ら何の現実性も持たないというのが無関心の原因であるのなら、華人血統子孫7百万人も
現実性のない数字になるのではあるまいか?ところが日本人ばかりか、欧米人までもが東
南アジア各国のChinese populationを推定している現実があるのだ。


日本民族にとっての混血子孫についてもっと言うなら、江戸幕府の鎖国令によって国外に
追放された外国人縁者や家族についての日本人の関心は小さくないように見える。しかし
これも、混血の二世となったひとびとへの関心にとどまっていて、その先の子孫に向けら
れる関心がそこでぷっつり途絶えているような気がしてならない。

もしもジャガタラお春やコルネリア・ナイエンローデの不運を同じ日本人としての憐みで
感情移入しているのであるなら、かの女たちの子孫の中に悲運に呑み込まれた者がもしも
いた場合、同じような感情を抱くことができるのだろうか?

たいへん大きい確率で、その人物自身が自分の血の何分の一かが日本人であるということ
さえ意識していない可能性が高いように私には思われるのだ。それではだめだと言うので
あれば、サラ・スぺクスが果たして自分をどれくらい日本人だと思っていたのか、それを
客観的に判断することができるのだろうか?

とは言え、そんなことよりもわれわれはもう血統主義というアナクロニズムと訣別するべ
き時代に入っているようにわたしには思われるのである。日本人の血統や中国人の血統な
どという、そのようなものが政治的な意味を持たされていた時代はもう過去のものになっ
ているのではないか?XX国人やXX民族の血統というもので個々の人間を見よう、把握
しよう、扱おう、という態度はもう捨て去られるべきではないだろうか。閑話休題・・・
[ 続く ]