「チュルリッとチャロッ(3)」(2023年07月12日)

別の資料に、チャロッは一対一のものもあり、一対複数や複数対複数のものもあると書か
れている。古式にのっとり、誰も来ない場所で行われるのなら、そんなバリエーションも
受け入れることは容易だが、もしも街中で突然数人の男たちがひとりをなぶり殺しするも
のまでチャロッだと言うのであれば、マドゥラ社会が抱いてきたチャロッの持つオーソリ
ティが損なわれるようにわたしには感じられる。

現代法を歪めてまで維持しようとしている伝統精神は公正や正々堂々といった価値観を描
くものにならなければ成り立たないのではないだろうか。もしもマドゥラ人自身がチュル
リッを使う喧嘩刃傷沙汰をチャロッと呼ぶように変化してきているのであれば、そのひと
びとはチャロッという危険なオーソリティを認めないがゆえにそうしているのかもしれな
い。チャロッは現代(西洋)文明によって崖っぷちに追い込まれているようだ。


マドゥラ文化でチャロッは神聖視されてきた。チャロッで勝った者は社会ステータスが上
昇し、世間はその者に大きい尊敬を捧げるようになる。世間に自分の名をあげ、自分の存
在を示すのにこれほど有効な方法も他にあるまい。

伝統作法にのっとらず、日常生活の中で犯す油断を利用し、数人が街中でひとりのターゲ
ットをなぶり殺してそれをチャロッと呼べば、頭の固い人間はチャロッの勝者を尊敬し、
下へも置かないもてなしをするかもしれない。そのような方向性が生じれば、チャロッの
伝統的な定義はおのずと崩れていくだろう。

もちろんそのような社会心理操作よりも、大衆の知性的な無知と怠惰がその現象を引き起
こしている優勢な動因ではないかとわたしは推測しているのだが。


チャロッに付いて回る法曹制度でのなれ合いプロセスがチャロッという暴力現象の存続を
保護し、マドゥラ社会に暴力主義を繁茂させている元凶だとある学術論文は言い切ってい
る。その法曹制度でのなれ合いプロセスはnabangと呼ばれ、その分野で働く不良分子の私
腹を肥やさせているのだと言う。

チャロッ実行の三条件のひとつである金が、男の名声と名誉を背負った者たちが行う決闘
のスタートラインに置かれているのだ。「金がないならチャロッはするな」という格言が
人口に膾炙している。ただし金額が特に巨額でなければならないということでもないそう
で、法曹界にナバンを行ってもらえるだけの金額が用意できるかぎり、何の障害もないと
考えて良いのだろう。見方を変えるなら、それは自分が社会から尊敬される名士になる資
本金であり、いざ社会の名士になれば金稼ぎはただのフツーの人間より確実に容易になる
だろうと思われる。

ただし、そこにもからくりがある。金額が大きければ大きいほど判決が軽くなって当然だ。
そうすることで、判決を与える側も受ける側もメリットが大きくなるのだから。刑法典に
記されている殺人罪への刑罰は入獄20年であるにもかかわらず、チャロッ事件で発生し
た殺人者、つまり決闘の勝者に与えられる判決はまず5年を超えたことがない。

ナバンは法の裏側で行われる闇行為だから、周旋屋がそこに関与するのが普通だ。監獄の
中にいる訳知りの受刑者から、警察や裁判所の下働き、当事者たちにもっと身近な村役人
に至るまで、顔の広さと弁の巧みさを売り物にする周旋屋は数えきれないほどいる。特に、
当人や家族の日常生活に関りを持ちやすい村役人が、社会の名士になった勝者の名士レベ
ルに影響をもたらす力を持っているようだ。どうやら、小さな資本金で長い刑期を終えて
社会復帰したチャロッ勝者を村役人はあまりちやほやしないのかもしれない。当然、世間
も村役人の態度に倣うだろうと思われる。[ 続く ]