「スマラン5日間戦闘(5)」(2023年07月14日)

市内ボジョンにあるスマラン高等中学校生徒の有志が集まってインドネシア独立を支援す
る団体が作られ、ペピ・アディウォソが会長の任に就いた。ところがスマランにある初等
中学や実業系の学校がどんどんその団体に加わったために規模が拡大し、スマラン中等学
校連盟の名で12校の団体に膨れ上がった。

更にスマランだけでは終わらず、クンダル・プルウォダディ・ドゥマッ・サラティガ・ウ
ガランの学校もそこに参加してきたことで、学校生徒の広域組織ができあがった。かれら
はインドネシア独立の機会が訪れたとき、連絡を取り合って統一行動を行うことを目標に
置き、それに関連する諸問題を話し合って意見をまとめておくことを準備行動にした。

同じような学校生徒の団体がソロ・スラバヤ・ヨグヤカルタなどにも作られ、横の連絡は
更に広域へと拡大して行った。


スマラン高等中学のふたりの教員が中等学校連盟の思考と意欲の方向付けに貢献した。元
々はそのふたりが有為の生徒に思想面での指導を与え、組織作りに向かわせたのだ。

高等中学三年生の生徒がまず教化の対象になった。ふたりは教室の外で優れた生徒たちに
インドネシアが置かれている状況を説明し、民族独立のために自分たちにできることは何
かを考えさせたのである。「ダイニッポン軍は完全に押されていて、先行き事態の好転が
見込めないために連合軍に降伏する可能性が高い。将来起こる可能性があるのは、連合軍
がジャワに進攻してくることだ。そうなると日本軍と連合軍の戦争が起こる。そのとき、
われわれはどうすればよいのか。インドネシア独立を実現させるために、インドネシア人
はどんな行動を取ればよいのだろうか?」


当時スマラン高等中学校教員だったプティ・ムハルトは憲兵隊に逮捕されて留置されたこ
とがある。かれは当時の状況を次のように書いている。
「日本敗戦前の数ヵ月、日本は戦争に負けるという噂が激しく飛び交った。しかしインド
ネシア社会の中には、日本は不敗だということを信じている者もたくさんおり、かれらは
たいてい日本を畏敬していた。尊敬すると同時に怖れてもいたと言えるだろう。だからジ
ャワ島に変化が訪れたとき、インドネシア独立のためにわれわれはどうするべきかという
ことを話し合うのに、よくよく相手を吟味して行わなければならなかった。

わたしの親しい友人や、一緒にケンペイタイの獄舎に入った者はみんな、独立はわれわれ
の手で勝ち取らなければならないと考えている。いつまでも日本人に統治権を持たせてい
てはいけない。独立を与えると言ってはいても、戦争に負けたらインドネシアを連合国に
差し出すかもしれない。

権力の空白が起こったとき、われわれはその機会を活用しなければならないのだ。そのと
きに何をどのようにすればよいのか、それを話し合っておかなければならないというのに、
だれを話し合いに誘えばよいのか、そこにたいへんなリスクがあった。高等中学生にその
心構えを持たせなければならないにもかかわらず、おかしな考えを持っている生徒にこの
話をすれば、こちらに何が起こるかわからない懸念があった。

何人かの同志と情報交換をして、ペピ・アディウォソをはじめとする反日的で信頼のおけ
る生徒の名前が十人ほど得られた。」


スマラン高等中学の中で反日姿勢が高まり始めた。まず勤労奉仕に対する苦情やボイコッ
ト、あるいは真剣に作業をしないサボタージュ姿勢が示された。学校の環境内に反日ポス
ターを貼り出す者も出た。そのポスターに地元軍政当局が激怒した。当局はスマラン高等
中学が反日分子の巣窟であると見なして、捜査と弾圧の動きを始めた。[ 続く ]