「チュルリッとチャロッ(5)」(2023年07月14日) 19世紀中旬にバンカランの行政官僚だったブレスト・ファン・ケンペンの書いた報告書 には、1847〜49年に毎日殺人事件が発生し、殺された者の遺体が町中のアルナルン 広場に捨てられた、と記されている。 19世紀半ばには、マドゥラ島から対岸のジャワ島タパルクダ地方に毎年数千人の移住が 起こった。マドゥラ島が無法地帯と化して力の弱い民衆が抑圧・虐待・搾取のターゲット になっていたのであれば、それから逃れるために故郷を捨てる者が何千人にものぼったこ とに何も不思議はない。法曹機構はまったく機能せず、あらゆる衝突の解決は力の対決に なったのだろう。 一方、別の西洋人学者Gスミスは、チャロッはオランダ植民地体制下のマドゥラで早くか ら行われていたと語る。慣習法であれ近代法であれ、法に服するよりも力をたのんでもの ごとを決める性格は、マドゥラ人の一族が集中居住を行わず、分離して暮らさざるを得な い住環境がもたらしたものだとスミスは主張する。そのようなパターンは一元的な社会統 制を困難にし、小王がひしめいて力を競い合う環境を容易に形成した。 チャロッを暴力主義に基づいて他人を支配する仕組と見なすのは、あまりにも単純な姿勢 だろう。南スラウェシのブギス=マカッサル社会にあるsiri'、フィリピンのスル社会が 培ってきたmaisugなどと同じように、名誉や自尊心などの心理要素が暴力を振るう基盤に 存在することがチャロッにも不可欠とされている。 シリッやマイスッと同じように、名誉を傷つけられ自尊心を踏みにじられた男がその報復 として生命を賭けた対決を行うとき、社会はそれを正当なものと認め、勝者に称賛を与え るのである。それらの社会はそういう価値観を文化の中に作り上げたのだ。 マドゥラ男にとっては、社会生活において自分がひとりの男と認められる要素に瑕疵や不 足があってはならない。それらのあってならないものが社会生活において発生したとき、 かれの心中にマロの心理が立ち昇り、かれをフラストレーションに陥れる。かれの心にマ ロが生じたとき、自分は存在価値のないものだという思いが「世間から白い目で見られる よりも死んで骨をさらす方がましだ」という考えを招き、生命を賭して自分をその状態に 陥れた者との決闘を決意させるのである。南スラウェシのシリッには対決者間の和解を可 能にする仕組が存在しているが、マドゥラにはそれがない。 マドゥラ人にマロをもたらす要素の中に、マドゥラ人の婚姻観も含まれている。マドゥラ 社会では男であるオレが妻という立場の女を自分の所有物にするのである。オレが結婚す るとプンフル(アダッの長老)によってこの女との間に夫婦の絆が結びあわされる。その とき、宗教の定める条件も完璧に満たしていることを踏まえて世間がその絆を承認する。 そうしなければ婚姻は成立しないのだ。 もしも誰かがオレの妻に手を出したり妻を卑しめるようなことをすれば、それはアダッと 宗教に背き、オレを踏みつけにすることを意味している。踏みつけられたオレが世間の目 の前で黙ってそれを甘受すれば、オレは男でなくなる。 マドゥラ社会も、妻を持つことではじめて男が完成すると見ている。複数の妻を持てば男 の完成度は更に上昇すると考えられているから、ジャゴアンの上級クラスの者たちはたい ていポリガミを行っている。そんなマドゥラ社会では、他人の妻に横恋慕する男のふるま いを「火遊び」と呼ばず、「生命遊び」と呼んでいる。 マドゥラ島の村落部では、女の子がまだ幼児の時期に一族の別の家の男児と許婚の約束を する。その一方で、12〜15歳くらいのときに初潮が訪れたあと、よそから嫁に欲しい という声が掛かれば一族は大喜びで結婚の縁組をする。初潮を過ぎた娘がいつまでも嫁に 行かないのは一家一族の恥になるのだ。最初の許婚がフェールセーフとしてのものである ことが判るだろう。[ 続く ]