「チュルリッとチャロッ(7)」(2023年07月18日)

1922年のJave Postの記事の中に、マドゥラ人と刀剣は切っても切り離せない一体化
したものであり、たいていはあらゆる種類の武器を巧みに使いこなすが、もっとも愛用す
るのは鎌であると書かれている。鎌を持たないマドゥラ人は不完全な状態であって、鎌を
持ってはじめてかれはひとりの男になるのだそうだ。

チャロッに切っても切れない縁を持つチュルリッは元々が普通の農具である鎌だったよう
だ。農具だった鎌がチュルリッにされて、農具として使われなくなった。他人を殺傷し、
わが身を守るための武器がその用途である。

マドゥラ男はチュルリッを、男である自分の肉体の一部であると考えている。というのは、
アッラーが地上の土で男のアダムを作ったあと、アダムの肋骨を一本使って女のハワを作
った。つまり人間の男は肋骨が一本減っているのだから、チュルリッがその不足を補うも
のだとマドゥラ人は考えたのである。

曲がっている鎌は肋骨の形をしており、その肋骨の代替品は常に左の腰に差される。マド
ゥラ人にとって深い精神的な意味を持っているチュルリッは、子孫への遺産として代々受
け継がれて行く。持ち主が亡くなったからといって、古道具屋に売ることはしない。


チュルリッは普通、牛や水牛の皮で作られた厚い鞘に収められる。刀身の柄は木製の握り
の端まで貫通している。チュルリッ製作で有名な土地のひとつがタカブ村で、そこで作ら
れたチュルリッはtakabuanと呼ばれてマドゥラのジャゴアンたちの憧れの武器になってい
る。タカブアンは姿が美しく、しかも素材の鋼が良質であるため研磨すると刃の鋭さが普
通のものよりも高まるからだ。

他の人気種にダンオソッがある。dhangはバナナを意味するgedhangに由来し、osokという
大型バナナの実と類似の長さをしていることからdhang osokと命名された。ダンオソッは
長めのバナナの実の形をしていて、普段それを持ち歩くことはしない。マドゥラ人が日常
で普通に持ち歩くのは普通のチュルリッであり、ダンオソッを持ち出すのはこれから出入
りを行うことを宣言しているようなものになる。

それらの優良品チュルリッの他に、テコスブアンブやブルアユムなどと呼ばれるものもあ
る。


マドゥラ島でも、普通の農作業や草刈りには鎌が使われる。チュルリッは刀剣の一種であ
り、普通一般の鎌とは湾曲が違い、また斬り合いのために必要な諸要素が付加されていて、
剣士にとっては生命を託す道具となる。そしておまけに芸術品として扱われるのである。
そのため製造工程も農具の鎌とは明白に違っている。

農具は鉄で作ればいいが、武器は鋼鉄が使われる。何度も鍛造を重ねて緻密で正確な姿が
作り出される。チュルリッがチャロッに使われる場合は、その者が手に入れることのでき
る最高の製品を選ぶのが普通だ。上質のチュルリッは繊細に白く輝く刀刃を持ち、丁寧に
研磨されて最高の鋭さを持たされる。

真のチャロッが何であるかということを、そのこと自体が物語っているようだ。芸術品と
しての価値が高ければ高いほど、そのチュルリッは使われる場と機会を厳しく選択するの
である。チャロッというオーソリティがその最高位の場と機会を提供することになる。


マドゥラ人の主要武器としてチュルリッがいつからその地位を得たのかは、はっきりした
ことがわからない。マジャパヒッ王国創始者のラデンウィジャヤを助けてスムヌップの王
であるナラリヤ・マドゥラ・アディパティ・ウィララジャの率いる軍勢がマジャパヒッ軍
とともにクディリのジャヤカッワンを倒し、そのあとモンゴルの軍勢をジャワの地から追
い払ったときの戦争では、マドゥラ人はみんな剣槍弓矢を使って戦争したはずだ。鎌一本
を手にする軍勢が敵の剣槍弓矢と戦って勝つとは考えにくい。

結局のところ、剣槍弓矢を手にする場面が日常生活の中に生じなくなったとき、平常の社
会生活の中での最適な武器の選択がチュルリッという形をとったのではないかと推測され
るのである。[ 続く ]