「チュルリッとチャロッ(9)」(2023年07月21日)

その読みの通り、ある暗い夜にサケラが母親を訪ねてやってきた。警察は即座に応援を出
動させて家を包囲し、地区役人も報告を受けて現場に到着した。

役人がサケラに向かって叫ぶ。「この家は包囲された。もう逃げられないぞ。武器を捨て
て降参しろ。お前が抵抗を続けるなら、母親の身は保証されない。母親が殺されてでも逃
げるのか?」

母親が殺されてでも自分の身を救おうというのは、男のすることではない。役人の策略は
急所を突いた。降参して出てきたサケラに縄をかけようとして捕り手たちが襲いかかり、
殴る蹴るの嵐がひとしきり続いた。捕まったサケラはそのままバギルの監獄へ送り込まれ
た。監獄の中では毎日、虐待の日々が続いた。


サケラには妻がふたりいた。最初の妻はギンテン、若い妻はマルレナと言う。また甥のブ
ロディンを教育するために家に置いていた。このブロディンは遊び人の本性を持ち、女と
博打の大好きなやくざな人間だった。サケラが監獄に入ったのを幸い、ブロディンは若妻
のマルレナを誘惑してたらしこんだ。同じ家に住んでいるのだから、ブロディンにとって
は好都合だ。

しかしその不倫が家の外に洩れ、噂になって監獄内のサケラの耳に入った。妻を甥に寝取
られては男が立たない。サケラは恥をすすぐために牢破りを行った。不倫の事実を確かめ
るために情報を集め、確信が得られたのでブロディンを決闘に誘った。ひとのいない場所
で互いにチュルリッだけを手にして一対一の対決をする。そしてブロディンが死んだ。

サケラは更にオランダ人農園主の言いなりになって地元民を虐げる地区役人の命を奪い、
災いの根源であるカンチルマス農園のオランダ人たちを血祭りにあげていく。バギルの警
察長官がサケラを捕らえようとしたとき、サケラのチュルリッが長官の腕を切り落とした。
サケラのチュルリッは止めようもなく荒れ狂った。

植民地における異民族支配という不条理な体制の中で起こっている諸悪に対して、サケラ
は正義のチュルリッを振るっていたのである。その立脚点からサケラ事件を見るなら、サ
ケラは反植民地造反運動の先駆者としてインドネシア共和国の国家英雄に祭り上げられて
もおかしくはないだろう。

しかし現代インドネシアの諸事情を詳しく見るなら、かつて異民族が植民地という体制の
中で行っていたのと同じようなことが、同一民族の間で相変わらず続けられている現実を
われわれは目にし耳にするのである。異民族なら悪人を殺しても正義一辺倒になり、同一
民族なら悪人を殺すと現代法のために正義にならないというのも、どこかいびつな印象を
われわれにもたらさずにはおかないようだ。


警察はサケラ逮捕に全力をあげた。この反逆者にして脱獄囚である男を捕らえて社会に安
寧と秩序を回復させなければならない。そのためにサケラの弱点を探すのだ。サケラが格
闘術を学んだ道場の兄弟弟子でサケラと親しかったアジズという者がいる。アジズを官憲
側につけてサケラの逮捕に協力させればいい。

巨額の報酬を示されたアジズは官憲の側についた。サケラはタユブの歌舞が大好きだ。祭
りの夜にタユブを演じさせてサケラをおびき出そう。やつは必ず出て来る。舞台にのぼれ
ばもう袋のネズミだ。

アジズの策略は図に当たり、サケラはふたたび逮捕されて監獄につながれた。そして重大
犯サケラに極刑を与えるための裁判が行われ、サケラに死刑判決が下された。こうして植
民地体制下のインドネシアで何人ものオランダ人を殺し、統治行政機構に弓を引いた謀反
人サケラの生涯が終わった。かれはバギルの監獄で絞首刑になったのである。[ 続く ]