「perihとhati(後)」(2023年07月28日)

ブンカルノは正しかった。この共和国の建国はインドネシア人のためだけではなかったの
だ。植民地主義と帝国主義からの解放を勝ち取るために世界の諸民族が行う闘争をバック
アップし協働することを含んでいる大きな人道主義精神に伴われてこの共和国が作られた。

その精神がアジア・アフリカ・中南米の諸民族解放闘争の観念を導いた。パレスチナ・レ
バノン・イラク・アフガニスタン・イランその他世界の片隅に存在する諸民族の現況を見
るなら、ブンカルノ精神がいまだに時代遅れになっていないことに気付くだろう。この文
脈においてプリハティンの表明はただの白昼夢でしかない。


われわれは自分の国の中で、分かりやすくて勇気ある緊急措置を求めているプリハティン
なことがらがいまだたくさん存在していることを知っている。何かを待ったり延び延びに
されると苦難を増やすことになるばかりだからだ。政府の教育政策に直面して毎年何千人
もの生徒と親が心を不安と抑鬱に苦しめられている問題がある。プリハティンに思うか?
思うだけでは足りない。国民の未来を救済するために、教育政策に目に見える行動が求め
られているのだ。

今われわれの目は、シドアルジョの熱泥災害にくぎ付けされている。その原因は従来の自
然災害と違っているかもしれないが、人間のエラーに対する大自然の反応と結果は、救済
のための実効的な措置を緊急に行わなければ本物の自然災害とたいして違わないものにな
るかもしれない。熱泥噴出を止める期日の口約束ばかりでは、災厄を激化させているよう
なものだ。最初は7月と言い、そして9月、10月、今は12月に熱泥噴出が解決される
と語っている。これが見せかけだけの目標期日であるのは明白だ。時が経過すればするほ
ど、国民の犠牲者は増加し拡大する。2006年12月だって?その目標期日がやってき
たとき、東ジャワの全域が熱泥の下に埋もれていないことを祈るばかりだ。

これはもうプリハティンどころでなくて、空恐ろしいことなのである。奇妙なのは、いま
だに大規模なアクションがどこからも起こっていない実態だ。特に政府が住民を救うため
に取るべき行動が目に見える規模で行われておらず、反対に災害の影響は日に日に国民の
目に明らかになっている。いつまでたっても解決されない森林火災とそっくりだ。日を追
って犠牲者が増加してるナルコバ犯罪現象と同じだ。法律や国家法規の執行を、雑貨屋で
品物を売るように金次第にしている法律マフィアたちの災厄と瓜二つだ。撲滅に熱心にな
ればなるほど公共スペースでますますはびこる汚職行為と何も違わない。誰の目にもあか
らさまに見えている公然の秘密。なんと怖ろしいことか。


さまざまな自然災害と社会病弊に解決も抑止も実現せず、とめどもなくそれらが発生し拡
大している現状は、あたかも世間に流れている噂が本当であることを裏書きしているよう
に思われるだろう。

われわれインドネシア人は騒ぎ好きで統制されるのを嫌い、自分を改善しようという意欲
を持たない愚か者であるというのがその噂だ。何というprih-atiな噂だろうか・・・
[ 完 ]