「パラフレーズ」(2023年07月31日)

ライター: インドネシア語学者、リー・チャルリー
ソース: 2008年5月23日付けコンパス紙 "Parafrasa" 

わたしは、KBBI第四版からperhatiが独立した見出し語に出される計画であることを
4月4日のこの欄で知って胸をなでおろしている人間のひとりだ。memerhatikanの語形が
長い間わたしを絶望させていた。この語形を正そうとしてわたしはあちこちに論陣を張っ
たものの、だれもかえりみようとしない。最後に昨年バンドンのホテルサンティカで開か
れたコンパス紙の読者著者書評家フォーラム大会でその問題をわたしはもう一度提起した。
そしてJSバドゥドゥ氏の「がっかりしないように。」という言葉だけが得られた。

災難なことに、あるマスメディアの編集者はわたしが文中に書いたmemperhatikanの語を
常にmemerhatikanに修正する。どうすりゃいいのか?結局わたしは、自分の無念さが暴れ
出さないようにするために、memperhatikanの語をしばらく使わないようにしようと決意
し、代替として受身形のdiperhatikanあるいはmemberi perhatianという句を使うことに
した。

memperhatikanの代わりにmenaruh perhatianという書き方をすることをパラフレーズある
いは釈義と言う。menaruh perhatianはmemperhatikanのパラフレーズなのである。別の例
としてkalahという言葉を取り上げると、この語が持っているパラフレーズにはmengalami 
kekalahan, menderita kekalahan, menelan kekalahanなどがある。言語にはなぜパラフ
レーズがあり、それはいつ使われるのか?


パラフレーズが使われるのは、使おうとしている語形に確信が持てない場合や真実に即さ
ない場合だ。mengritik, mengkritik, mengritisi, mengkritisiのどれが適正なのかをあ
れこれ考えて頭を痛めるよりはmelontarkan kritikと書いて問題を終わらせてしまう者が
いるのである。memprogramとmemrogramのどちらを使うか決められない。だったらmembuat 
programか受身形のdiprogramを使っとけばよい。

使う言葉にバリエーションを持たせるためにパラフレーズが使われる。普通は、日常のコ
ミュニケーションで頻繁に使われる言葉がパラフレーズを持っており、すべての語句が一
律に持っているものではない。ある言葉が頻出語になるためには時間がかかり、頻出語に
なってはじめてパラフレーズが作られるようになる。たとえばサッカーの人気が上昇して
行った過程で、ゴールが決まったときに使われるパラフレーズが増加した。membuat gol, 
mencetak gol, membuahkan gol, menghasilkan golなどのように。

ある語句があまりにも露骨すぎると感じられる場合、パラフレーズの出番になる。たとえ
ばmengusirという語が穏やかでないという感性を持つひとはdipersilakan meninggalkan 
tempatやdimohon mengosongkan tempatを使うだろう。

美化や丁寧さ、あるいは謙譲、更には当てこすりにもパラフレーズは効用を持っている。
berjanjiを美化してmemadu janjiが使われることもあれば、時には皮肉っぽくmenebar 
janjiと表現されることもある。


最後に、memerhatikanの形が将来なくなるようなことがあれば、pemerhatiという形もな
くすべきだろう。pengamatやpenilik(語根tilikは真剣に見たり監視する意味)をその代
替語にすればよい。memperhatikanはある面で、インドネシア語使用者が書き言葉や話し
言葉の中に織り交ぜて使うことが増加している英語のconcernの対応語として使われるの
にふさわしい言葉だ。