「塩を求めて(3)」(2023年08月03日)

かれは四分の一ヘクタールを使って1シーズンに4〜7クインタルの塩を生産する。塩田
の区域区域で収穫のタイミングが異なり、そのため雨が降らないかぎり収穫を毎日行うこ
とができて、連日収入が得られる。雨が降ると収穫は台無しになり、天日干しのやり直し
になる。その間必然的に、生産者は収入が途切れてしまうのだ。ルンバン・グルシッ・マ
ドゥラやチルボンの製塩業者はみんな同じで、食塩生産者と言いながらも実態は日雇い労
働者とたいした違いがない。

乾季に行われる塩生産で作られ収穫された塩は現場で仲買人に売られる。ムラジは塩田の
土地オーナーと半々の製品分配契約をしてその土地を使っている生産者だ。言い方を変え
れば小作人ということになるのかもしれない。

中部ジャワ州で最大の塩田面積を持つルンバン県の塩田所有者は1990年に784人い
た。2000年には729人になり、2005年は718人に減った。一方、土地を持た
ない食塩生産者数は2000年が3,986人、2005年は4,739人と増加してい
る。会社形態の食塩生産業者は2000年に6社あったのが、2005年には4社になっ
た。

ところが、塩田総面積はたいして変動していない。1990年1,189.4Ha、200
0年1,184.9Ha、2005年1,184.9Haだ。そして年間にだいたい10万ト
ンが生産されている。


同じルンバン県バニュドノ村の塩田では、ヤシルさん65歳が地面の上にある塩の結晶を
掻き均している。明日には地面の上から水分がまったくなくなって、塩を収穫することが
できる。ヤシルは地元民ではない。かれはそこから36キロ離れたパティ県タマンサリ村
の住民で、小作労務者なのである。

毎週、およそ10トンの塩が収穫される。そのうちの5トンがヤシルの取り分になり、残
る半分は水田の地主の取り分になる。息子のマスクリさん30歳がヤシルの手伝いをして
くれるので、ヤシルは取り分の5トンから2トンを息子に与えている。

3トンを仲買人に売って手に入る70〜80万ルピアの現金が、ヤシルの家庭生活を支え
る収入になる。そんな経済生活はたいていの食塩生産者に共通している。カリオリ郡サン
ビヤン村のパルミンさん50歳も週3トンの収穫で80数万ルピアを得ている。


ジュパラ県クドゥン郡クドゥン村のジョコさん30歳は5年前から塩生産者のひとりにな
った。かれは乾季の3ヵ月間製塩作業を行い、過去最低で75トン、最大のときは150
トンの食塩を収穫した。塩は収穫時に相場が低いと苦いものになり、相場が良好だと甘い
ものになる、とかれは言う。相場が良いとけっこうな儲けになるのだそうだ。

一年のうちで長続きしない塩の生産期に、生産者たちは生活資金を得るために収穫のサイ
クルを詰める。それでも、海水の蒸発条件が最大になる日々が続いたとしても、収穫まで
に最低4〜5日はかかる。それで一応は食塩の形になるから、生産者はそれを市場に出し
ている。しかし化学的に見ると、塩化ナトリウムの品質が最高になるのは15〜20日目
であるため、その条件で作られた外国産食塩と国産品は品質的に大違いということになる
のだそうだ。輸入食塩が国内一般消費市場を牛耳ってしまう原因のひとつがそんなところ
にもあった。


それらの諸県の塩田で作られている塩はgaram krosokと呼ばれる粗塩だ。ヨウ素酸カリウ
ムKIO3含有量が標準値の30ppmに満たないため食卓塩として使うのは不適切であり、適性
は食品の塩漬け保存や塩魚の生産用、あるいは家畜飼料に混ぜて使うような用途に限られ
る。ところがクロソッと食卓塩の小売価格に大幅な差があるため、貧困層県民はクロソッ
を買って家庭消費に使っている。

家庭消費用の体裁で販売されている、ヨード含有基準値を満たさない塩は販売禁止措置が
執られている一方で、本来家畜飼料用に使われるべきヨード含有基準値を満たさない塩が
家庭消費に使われているという現実がそこにある。行政は流通業者に家畜用という表示を
するように指導しているものの、なかなか思うにまかせない状況だ。[ 続く ]