「塩を求めて(4)」(2023年08月04日)

バリ島の東南部にある製塩センターはカランガスム県のティアニャルが代表的だが、クル
ンクン県のクサンバ村も有名だ。古くから伝統的に塩づくりを行ってきたこの村も、時代
の波に呑まれつつあるようだ。

2011年1〜2月は連日曇りがちの空で毎日雨が降り、塩の生産がほとんどできない状
況が起こった。2月6日も村の上空は雲が多く、流れる雲にさえぎられて日射の強弱が断
続的に起こっている。海水の蒸発は遅々としてはかどらない。


クトゥッカピンさん48歳は海岸からほど近い集落に設置されているパルガンに満たされ
た海水に手を入れて塩粒の感触を探っているが、表情に笑みが浮かばない。結晶がまだ形
成されていないのだ。パルガンとは太い丸太を半割にし、中心部をえぐりとって桶状にし
たもののことで、そのくぼみに海水を入れて塩を作る。元々パルガンとは家畜の飼い葉お
けを指していた。形状が似ているために塩づくり用のものもそう呼ばれている。

集落内のあちこちに設置されているバルガンの多くは使われずに放置されている。作られ
た塩を保管するための竹編みの小屋も閉められたままで人けがない。この集落の中もほと
んど人けがないのだ。29人いる塩生産者の多くは別の稼ぎを求めて塩生産の場から去っ
ている。稼ぎがなければ生活に困るのだから。

クトゥッは30年前からそうしてきたように、その日も早朝に海水を塩田に入れた。昼に
濃くなった海水と砂をパルガンに移して塩を結晶させるプロセスにかかったのだが、結果
は芳しくなかった。


塩の生産期になると、雨が降らないかぎり生産者は一日中忙しい。生産者は3人で40キ
ロの塩を作り、製品は1キロごとに石鹸の空き缶に入れて竹編みの小屋に保管される。そ
してやってくる仲買人にキロ当たり1千2百ルピアで売り渡す。雨が多くて生産量が減る
と、できた塩の相場はキロ3千ルピアにまでアップする。しかし誰もが同じように雨の影
響を受けて生産量が減るのだから、よほど運がよくなければそんないい目を見ることもな
かなか起こらない。雨季のはじめごろには一日にひとり当たりせいぜい5キロ程度しかで
きず、キロ1千5百ルピアで仲買人に売り渡している。

雨のために塩が作れなくなると、生産者の多くは海岸を歩いてbatu sikatを集める。この
バトゥシカッと呼ばれる小石は英語のcoral stoneに該当するもので、建築資材としての
需要がある。家を建てたときに壁や庭に種々の小さい石で作られる装飾の素材として使わ
れるものだ。バリ島のヴィラなどでその実例を目にしたことがあるひともたくさんいるの
ではないだろうか。

しかし、波に運ばれて砂浜に打ち上げられるこの小石は波次第だから、潤沢に落ちている
わけでもない。塩生産者たちが塩を作れないときはそれを拾い集めて稼ぎにするが、キロ
当たり8千ルピアで仲買人に売れるものの、生産者が総出で集めてきても7〜8キロくら
いが手に入るだけ。

それよりも農業労働者や建設労働者、あるいは廃品回収などを行う方がよい収入になる。
30年前にクサンバ海岸の塩生産者は百人を超えていた。それが今や29人に減っている
のだ。塩の生産で十分な収入が得られる時代はもう戻ってこないのかもしれない。


ティモール島西南端にあるロテ島とスンバ島の東南端を結んだ線のちょうど中間に浮かん
でいるふたつの島が東ヌサトゥンガラ州サブライジュア県であり、この県は大きい島のサ
ブ島と小さい島のライジュア島で構成されている。

今ではSabuと表記されるサブ島は昔SawuあるいはSavuと書かれ、サウという名称の方がよ
く知られていた。フローレス島・スンバ島・ティモール島の三島で三角形に包まれる海域
は古来からサウ海Laut Sawuと呼ばれてきた海であり、サブ島の古名に由来している。
[ 続く ]