「奴隷から王に(2)」(2023年08月09日)

オランダ語原本もヴィガースの翻訳版も、Oentoeng Soerapatiとその名が綴られているが、
現代インドネシアではUntung SurapatiまたはUntung Suropatiと綴られる。そのいずれに
せよ、オーセンティックな発音はウントゥン・スロパティであってスラパティではない。
なぜなら、バリ人として生まれたこの人物は生涯の大部分をジャワで送り、かれの個人名
になったスロパティという言葉もジャワ語の名前がかれに与えられたものだったからだ。

ジャワ語は元々、ホノチャロコあるいはチャラカンと呼ばれるジャワ文字で書かれていた。
そのジャワ文字が読めないひとのために、原文をアルファベットに移しかえる翻字プロセ
スが行われた。翻字とは、対応する文字が固定されて文字だけを書き換えるプロセスにな
るのが普通だ。そのために、原語の文字と音の間にバリエーションがある場合、それはそ
のままアルファベット表記の中に持ち込まれることになる。翻字が音をアルファベットで
書き写す音写でないため、当然発生する弱点だろう。反対に音写が行われると、オーセン
ティックな原語の文字表記が判らなくなる単語が出現し、辞書で意味を探すことが困難に
なりかねない。

アルファベット翻字されたジャワ語の「a」はオに近いアと普通のアという異音を持って
いて、単語もしくは音節のつながりの中でそのどちらの音を発音するのかが決まっている。
Surapatiの正しいジャワ語発音はスロパティになっているのだ。このメカニズムがややこ
しい現象を生んだ。


SurapatiやTrunajayaのようなジャワ語の固有名詞がインドネシア語の中で使われたとき、
何が起こっただろうか?インドネシア語の「a」の音はアただひとつであり、インドネシ
ア語文に書かれたそれらのジャワ語固有名詞もスラパティやトゥルナジャヤと読まれる現
象が当然の帰結として起こった。

その現象に対して逐一、スロパティやトゥルノジョヨという正しい発音に訂正させきれな
くなったとき、ジャワ語の発音を音写してイ_ア語化し、SuropatiやTrunojoyoと綴る動
きが発生した。つまり世の中に同一の内容を示す単語が二種類流通するようになったので
ある。そうすることで読み方の問題は解決したのだろうか?それが徹底できるのは全体主
義国家だけではあるまいか。

世の中のインドネシア語文の中に二種類の綴りが流通してしまったものを、古い過去まで
さかのぼってイ_ア語文中のジャワ語綴りをイ_ア語綴りに書き直すことなど誰が行えよ
うか?そして過去に書かれた文書に二種類の綴りが出現しているのだから、全体主義国家
の帝王が国民に罰則付きで音写綴りを強制しないかぎり、国民のひとりひとりがどちらか
の綴りを使うことになるだろう。

こうしてイ_ア語の中では、同一ジャワ人の名前やジャワの地名に二種類の綴りと二種類
の発音が並立するものがあるという現象が確立されることになり、その格好で現在に至っ
ている。


外国語単語のカタカナ表記も似たような問題をはらんでいるようにわたしには思われる。
たとえば英語をはじめ西洋語の単語はマジョリティ日本人が原語発音を音写しようと努め
ているように思われるのだが、インドネシア語に関してはどうも翻字をするひとがかなり
の比率を占めているように見えるのである。

デヴィ夫人やデビ夫人も、大昔に流行ったジャゴラビも、わたしには音写した結果だとは
思えない。原語の音を捉えようとせず、文字を移し替えた結果ではあるまいか。Dadihを
ダディヒと書くのも語尾の単なる吐息を吐息として扱わず、綴りを翻字しているように思
われるのだ。

さるネット地図サイトで、地図に書かれているたくさんのイ_ア語地名が米語風の発音で
カタカナ書きされている現象に遭遇して、唖然とした記憶がわたしにある。欧米語に適用
される傾向の高い原語の音写に逆行するようなそれらの翻字現象が、インドネシアに関し
てだけ行われているものなのかどうか、他の発展途上国と考えられている国々がどうなっ
ているのか、わたしには興味のあるところだ。[ 続く ]