「奴隷から王に(3)」(2023年08月10日)

1684年のできごとが小説「奴隷から王に」の幕開けだ。そのとき奴隷の身分ではあっ
てもVOC軍の士官としてプリブミ兵士の部隊を指揮するようになったウントゥンは、グ
デ山系の中に逃げ込んだバンテンスルタン国の王子パゲランプルバヤを連れ帰るために部
隊と共に捜索行の途上にあった。

パゲランプルバヤはVOC軍との戦争に敗れて落ち延びたのだが、結局VOCに降伏する
ことを決意してVOCに投降を表明した。ただしその書状には、VOC軍のプリブミ士官
に指揮された部隊が自分を迎えに来るようにと記されていた。その仕事がウントゥンに命
じられたのである。

ウントゥンはそのころ、自分がオランダ人に受け入れられてヨーロッパ人のような待遇が
与えられることを切望していた。かれの熱愛する娘と正式に結婚して家庭を築き、普通の
社会生活を送ることが大きな憧れになっていたのだ。ヨーロッパ人の都市国家バタヴィア
で暮らすためにはそれが絶対条件になる。かれの熱愛する娘スザンナはバタヴィアに住む
ヨーロッパ人だったのだから。


ウントゥンがその生涯を賭けて愛したスザンナは、ウントゥンに関するインドネシア語情
報の中でたいていSuzaneと書かれているが、ニコリナ・スロートはSuzannaと書いている。

ウントゥンはスザンナの父親が買った奴隷だった。ところがスザンナと愛し合う仲になり、
夫婦の契りを交わしたのだ。娘が奴隷と男女の仲になったことを知った父親は怒り狂った。
スザンナはプラウスリブのひとつの島に隠され、ウントゥンはバタヴィア市庁舎地下の牢
獄に送り込まれた。

ウントゥンは牢獄内で仲間を作り、脱獄計画を練って実行した。スザンナがその計画に手
を貸したという説もある。脱獄に成功したウントゥンと仲間たちはバタヴィアの外を囲ん
でいるジャングル内を棲み処にして、強盗仕事で稼ぐようになった。


バタヴィアの住民人口はこの都市国家が作られて以来、大半が奴隷で占められた。奴隷の
持ち主はたいてい奴隷を非人道的に扱い、反抗的な奴隷は簡単に牢獄送りにした。だから
ご主人様が自分を虐待するような雰囲気が出始めると、奴隷は機を見てあっさり逃亡した。

バタヴィア城市の外はジャングルであり、人間を食い殺したり毒殺する野生動物があふれ
ている。しかしそんなものがかれらの逃亡を抑止することにはならなかった。かれらは先
に逃げた逃亡奴隷たちが集まって暮らしている場所に行ってその仲間になった。逃亡奴隷
たちは強盗団や略奪団になって、バタヴィア城市の外に出て来る人間や城市の外で運営さ
れている資産を襲った。

この奴隷という言葉から、奴隷制時代の奴隷のすべてが残虐な扱いを受けて悲惨な人生を
送ったという深刻なイメージを持たなくてもよいのではないかとわたしは思う。奴隷の中
にはご主人様と和気あいあいの生活を営み、与えられた仕事を上手にこなして信頼を獲得
し、主人の一家から忠実な下僕として慈しまれながら一生を終えた者も少なくなかったの
ではないだろうか。あるいは子供の奴隷が主人の息子の付添い人の仕事を与えられ、主人
がふたりをまるで兄弟のように扱い、ふたり仲良く育つといった例もあったような気がす
る。もちろん、そんなことは主人次第の問題になるわけだが。

奴隷というのは社会制度の中に作られた身分という性質が強く、制度それ自体と人間同士
の接触はまた別物であったのではないかとわたしには思われる。奴隷は私物なのだから虐
待してもかまわないというのは身分のほうにくっついている側面であり、自分の私物を粗
末に扱うか大事に愛でるかは持ち主の人間性の問題になるような気がするのである。

奴隷を買って所有するというのは、ある意味で住み込みの使用人を持つのに似ているのか
もしれない。だから奴隷が主人に対等な口をきいたり、主人を非難するといったことも起
こり得ただろうし、自分の非を奴隷に批判されたのを受け入れる度量を持つ主人もいたこ
とだろう。とはいえ、自分に非があっても奴隷身分の者が何を僭越な、という感情が先に
立ってそんな奴隷に暴力を振るう主人がいたのも当然の話だ。[ 続く ]