「奴隷から王に(4)」(2023年08月11日)

マナド人FDJパゲマナンが1903年に発表した「ロッシーナ物語」も奴隷の境遇を浮
き彫りにして描き出した作品だ。この物語はバタヴィア城市から住民がヴェルテフレーデ
ン、モーレンフリート、ガンビルなどに移り住むようになったころの時代のできごとで、
バタヴィア城市西岸地区のロアマラカの大邸宅に住むファン・デル・プルフ家が舞台にな
っている。主人のトアンファン・デル・プルフは大金持ちの高貴な家系であり、高い地位
に就いていた。

オランダ東インドでは1854年法律第2号で奴隷制の廃止が定められ、1860年1月
が実施のデッドラインとされた。しかしそのデッドラインを越えて長い期間、奴隷たちは
奴隷だったころと同じような生活をしていたと言われている。

この話が、もしも奴隷というのが身分についてのことがらでしかなく、実生活面では人間
的な扱いを受けるその家の使用人であった場合、奴隷という身分から解放されたとしても
その家を去って新たな職業に就かねばならない理由にはならないだろう。奴隷の主人にと
っては、無給の使用人が有給の使用人に変わるだけの話なのではあるまいか。だから外見
的に、その家の中では従来の奴隷たちが有給の使用人に変わっただけで、かれらの生活様
式に何の変化も起こらなかったように見えても、決しておかしくない気がする。


18世紀末から奴隷制廃止の気運が世界に立ち昇りはじめたのを横目に、オランダ東イン
ドでは遥か古くからバタヴィア城市内に奴隷市が立ち、海を越えて運ばれてきた奴隷が買
付人に買われてまた海を越えて散らばって行くという現象が相変わらず続いていた。ロッ
シーナ物語の時代も、バタヴィアに住む白人で奴隷を持たない家はなく、邸宅の大きさに
応じて数人から数十人という奴隷がどの家にも置かれていた。ファン・デル・プルフ家は
その数十人の方に属している。

女奴隷の中に、まだ15歳のバリ娘ロッシーナがいた。色白の肌に長い黒髪を垂らしたた
いへん美しい娘で、街中を歩けば決まって男たちが振り向いた。奥様はとてもこの娘が気
に入り、どこへ外出するにも必ず一緒に連れて出た。そんなときロッシーナは腰までのバ
ジュクルンとバティックのカインに身を包み、衣服を止めるピンやかんざしにはきらめく
宝石の散りばめられたものが使われ、かの女を目にする男も女もロッシーナの美しさをほ
めそやした。奥様は自分の持物のすばらしさをみんなにほめられて、大いに自尊心をくす
ぐられたにちがいあるまい。

だがロッシーナの女が開花しはじめたとき、奥様の心に不安が湧いた。夫がこの娘の身体
を欲しがるだろうという嫉妬だ。その対策をどうするか?奥様には考えがあった。ロッシ
ーナを結婚させれば、夫は人妻にまで手を出すこともあるまい。奥様は夫の性格をよく知
っていた。

醜男で老齢にさしかかっている奥様付きの男奴隷アポルとロッシーナを奥様は夫婦にさせ
ることにした。ロッシーナの心には気にかかっている若い男の姿があったのだが、奥様が
仕組んだこの結婚に異論を唱えることなどできるはずもなかった。一方、アポルはロッシ
ーナを目にするたびに起こる疼きが満たされることになったのを大喜びで受け入れた。こ
んなことになるとは夢にも思っていなかったロッシーナは自分の非運を甘んじて受け入れ
たものの、それ以来誰もいない場所を探しては涙にくれるようになった。


ある日の午後、奥様はまだ小さい息子の泣き声に午睡の夢を破られた。不十分な眠りのた
めにご機嫌斜めになっている。何が起こったのかを見に裏へ行って奴隷のひとりに尋ねる
と、坊ちゃまが転んだからだと言う。誰が付いていたのかを尋ねると、ロッシーナだとい
う返事が戻って来た。奥様はロッシーナを呼びつけた。

そしてロッシーナの説明も聞かずに腹立ちをロッシーナに向けて折檻し始めた。ロッシー
ナの手を台に置かせてかんざしで突き刺す。「赦して下さい」と泣き叫ぶロッシーナを捕
まえておけと他の奴隷に命じて奥様は部屋に戻り、灯油を浸した布とろうそくを持って戻
って来た。そしてロッシーナの手にその布を巻きつけてからろうそくで火をつけた。

痛みで転げまわるロッシーナの悲鳴に起こされたご主人様がやってきて現場を見るやいな
や、すぐさまロッシーナの手を焼いている布を取り去り、水をかけて冷やした。夫婦喧嘩
が始まる。ロッシーナを心配してやってきたアポルは外に隠れて様子を窺っていたが、逃
げ出してきたロッシーナを迎えてだれもいない場所に連れて行き、介抱した。[ 続く ]