「塩を求めて(終)」(2023年08月10日)

パプアでは、塩水が海抜2千1百メートルの山の上に湧き出ている。南北60キロ東西1
6キロにわたる広大なバリエム渓谷はその周囲を密林に覆われた山地が囲んでいる。高原
状の山地の間にそびえるミリ山の頂が塩水の湧き出ている場所なのだ。パプア島中央部の
バリエム渓谷に住むダニ族の先祖が見つけた奇跡の恵みがそれなのである。

パプア州ジャヤウィジャヤ県クルル郡ジウィカ村はワメナの町からおよそ25分の行程で
到着できる。しかしそこからミリ山の頂へは徒歩で行くしかすべがない。サバンナ草原を
突っ切っておよそ10分、高地の崖の麓までやってきた。そこから登山が始まる。場所に
よっては45度くらいある傾斜をジグザグで上にあがっていくことまでしなければならな
い。ダニ族のひとびとは老いも若きもそんな道程を苦もなく裸足で踏みあがって行く。

かれらの祖先は甘味をhipereから摂り、酸味をタマリンドで味わい、苦味は木の葉から得
た。しかしこのバリエム渓谷で塩味をもたらすものは何も得られなかった。そのために先
祖は塩を求めて周囲の山地を越え、何日も何日も歩いて海岸へ行ったのだ。

ヒペレとはサツマイモのことだ。サツマイモは16世紀にスペイン人が原産地の中米から
アジアにもたらしたという定説になっているのだが、バリエムでは6千年ほど前からタロ
芋とバナナの栽培が始まり、そのうちにタロ芋がヒペレに取って代わられたことが検証さ
れている。つまり不思議なことに、6千年近い昔に中米からパプアにサツマイモが伝わっ
たことをそれは意味していると解釈されるのである。


それはともあれ、周辺の大自然を探ろうとする意欲がバリエム住民の心から途絶えること
はなかった。そしてあるときミリ山頂に登ったかれらは、そこにある泉の水がしょっぱい
ことを発見した。それは10メートル四方くらいの水溜まりだった。地面から湧いた水が
溜まったものだ。はじめてその水を味わったダニ族の先祖はきっと驚いたことだろう。そ
こからあまり離れていないところに水が流れているが、その小川の水はしょっぱくないの
だ。小さい泉の水だけが塩分を含んでいるのである。かれらはこの奇蹟を神聖視し、その
水溜まりにイルアギモという名前を付けた。

イルアギモの水は万病を治すとかれらは信じている。その水を穢してはいけない。イルア
ギモで水浴してはならず、またその周辺での排泄も厳禁された。イルアギモに臨んでいる
大岩に登って座ることも許されない。ダニ族は今でもイルアギモで神聖なる泉を祭る儀式
を行っている。それは非公開の儀式にされていて、関係者だけが山頂で祭りを行うのであ
る。


この現代、工業製品は飲食品から日用品に至るまで、パプア山中のパサルにも流れ込んで
くる。ワメナのパサルへ行けば、容器に入った食卓塩が手に入るのだ。ダニ族のひとびと
も電子カメラを手にして写真を撮っている。裸の身体の一部だけを覆う伝統衣装をひとび
とは相変わらず続けているが、そんなかれらがやってくる観光客の姿を電子カメラで撮影
する図は、ギャグめいた印象を感じさせてくれて面白い。

そんな時代の変化にも関わらず、ひとびとはイルアギモを祖先がしてきたように取り扱っ
ている。ひとびとは昔からの方法で塩水から塩を取り出しているのだ。残念ながら塩の結
晶にはならないのだが。


まだ若いバナナの木の幹を適当な長さに切り取り、ロウの層を硬い物でこすって除去する。
そのあと繊維質を細かく叩いて柔らかくしておく。自分が運べる数だけそれを準備するの
だが、その準備におよそ4時間かかる。それをイルアギモに持って行って、泉に浸けて水
をしみこませるのである。

塩水がしみこんだバナナの幹を火の上で乾かし、乾いた幹を焼くとしょっぱい灰が採れる。
料理の際、食材を鍋で煮るときにその灰を加えて塩味にするのが通常の使い方だ。

かれらは食卓塩がパサルで容易に手に入るにもかかわらず、山頂に登って塩を得ることを
続けている。かれらにとってイルアギモの塩はきっと特別な付加価値のついた塩であるに
ちがいあるまい。[ 完 ]