「奴隷から王に(6)」(2023年08月15日)

一緒に脱獄した仲間たちと共にかれは各地を転々とした。あるとき、かれらはチルボンス
ルタン領にやってきた。そこでスルタンの猶子であるラデンスロパティの配下とウントゥ
ンの仲間が衝突した。すさまじい集団喧嘩になってウントゥンの仲間のひとりが殺された。
これをラデンスロパティとウントゥンの間の当人同士の衝突と書いている話もある。

街中で起こったその騒ぎはスルタンの兵隊がやってきてすぐに鎮め、裁判にかけるために
双方をスルタンの前に引き据えた。双方が原因を説明したが、互いに相手を悪者にするの
が当たり前だ。ところがさまざまな説明をする中で、ラデンスロパティの話に矛盾が出て
きた。最初にスロパティが説明した内容に嘘があるのが判明したのだ。スルタンはスロパ
ティに死刑を宣告した。

スルタンは自分の猶子が犯した悪事をウントゥンに詫び、スロパティの名前はあなたのほ
うにふさわしいものだと言ってその名をウントゥンに与えた。surapatiとは「神の王」を
意味する言葉なのだから、チルボンのスルタンがウントゥンに好感を抱いたことがそこか
ら見えて来る。

ウントゥンの名はかれが奴隷時代に主人から与えられた名前であり、チルボンに来てスロ
パティの名をもらったことで、かれはウントゥン・スロパティを名乗るようになった。そ
うやって各地を転々としながら、ウントゥン・スロパティ盗賊団はカラワンに入った。


バタヴィアに隣接するメステルコルネリス(今のジャティヌガラ)からブカシを抜けて8
0キロほど東にカラワンがある。カラワンのチタルム川沿いに1678年、VOCはタン
ジュンプラ要塞を設けた。それがバタヴィアの遠隔地にジャワ島で最初に作られた要塞と
されている。

名前は要塞だったが軍事上の防衛能力はあまり重視されておらず、VOCが現地統治を行
なうための拠点として、地域の保安・商品輸送の便とその安全・地域の警察と裁判などの
諸機能を担うセンターとして使われた。翌1679年にタンジュンプラのパティが攻撃を
かけたために、タンジュンプラ要塞は焼け落ちている。

VOC内ではより防衛能力の高い施設に建て直す話になったものの、建て直された建物は
以前と同じようなものでしかなく、だいぶ経ってから1712年に、先端をとがらせた太
い丸太を垂直に立てて敷地内を取り囲む工事がなされただけだった。

1749年になってやっとレンガ作りの要塞に建て直され、1802年には対イギリス戦
に備えて要塞としての軍事機能がさらに強化された。ところが対イギリス戦の準備を行う
ために赴任して来たダンデルス総督がこの要塞を軍事拠点のリストから抹消したのである。
こんな所に小人数の兵力を置いても何の役にも立たないということだったのだろう。

1811年にはそこの土地建物の売却が命じられ、翌年に売却された。そして購入者は1
813年に要塞施設を取り壊してしまったのである。今では、タンジュンプラ要塞があっ
た場所は多分ここだろうという話がなされているだけだ。


タンジュンプラ地区で域内の保安と秩序の任に当たっている駐屯VOC軍とウントゥン・
スロパティの盗賊団がトムとジェリーの関係になったのは当然の帰結だった。ところがタ
ンジュンプラ要塞部隊指揮官ライス大尉が盗賊団の首領の人柄に興味を抱いたのだ。優れ
た度胸と才覚、巧みな闘技、鮮やかな戦術。オランダ語を流暢に話し、西洋的センスを身
に着けたプリブミの悪党とくれば、指揮官が戸惑うのも当然だったにちがいあるまい。こ
の男を敵に回して殺し合うよりも、VOCの中に引き入れて進歩と発展のために働かせる
ほうがはるかに有意義ではないだろうか。

ウントゥンにとっても、それは良い話だった。スザンナとの人生を夢見ているウントゥン
にとって、オランダ人社会の中で生きることはその実現に向かうための絶好の近道になる
はずだ。VOC軍の一士官として自由人の身になり、軍営の中で住居を持つことができれ
ば、スザンナの父親もわれわれを正式に結婚させてくれるだろう。そうすれば愛しい妻と
家庭を築き、子供たちを育てて・・・[ 続く ]