「奴隷から王に(8)」(2023年08月18日)

そんな女が自分の身近に出現したことを気にもかけず、ウントゥンはいまだにスザンナと
の人生に夢を託している。クフェラーのおかげでまた夢を手に入れるための扉が閉ざされ
てしまったが、いつの日かきっと・・・

しかし夢見る日がかれを訪れることはなかった。薄幸のスザンナは失意のうちに世を去り、
かの女が産んだウントゥンの子はヤコブ・ファン・レインが養子にした。ロバートと名付
けられたウントゥンの最初の子供は成人してVOCの軍務社員になり、兵士としての日々
を送るようになった。

そしてロバート・ファン・レインはディグナ・タックと恋仲になる。ディグナは1686
年にカルトスロでウントゥンに殺されたタック大尉の娘だった。だがふたりはロバートが
ウントゥンの子供であることを露知らない。

そのことよりも、ふたりの間に破局が訪れたのは、ヤコブ・ファン・レインの死去によっ
て自分の出生の秘密をロバートが知ったからだった。自分がファン・レイン家の実子でな
く拾われて育てられた子供であり、自分の肌の色が西洋人のようでないのは本当の父親が
西洋人でなかったからだ。

家族と共に海を渡って訪れたオランダをロバートは自分の祖国と信じ、三色旗の旗の下で
わが祖国に忠誠を誓い、自分のアイデンティティとしてそれを絶対視していた。ところが
自分の血統が純粋オランダ人でないという事実がそんなロバートを打ちのめした。心の動
揺に耐え切れず、かれはすべてを捨てて家を飛び出し、行方知れずになった。ディグナも
スザンナと似たような立場に立たされたようだ。


インドネシア語ウィキぺディアの解説によれば、ウントゥン・スロパティは1660年に
バリ島のゲルゲルで生まれた純粋のバリ人でヒンドゥ教徒だった。元々の名前はスラウィ
ラアジである。

ジャワ年代記に記されたウントゥン・スロパティの物語では、バリの将軍の息子に生まれ
たスラウィラアジが親とはぐれ、その子をマカッサル駐在のVOC士官ファン・ベベル大
尉がバリ島で手に入れて別のVOC士官に売ったところからウントゥンの履歴が始まって
いる。そのときウントゥンは7歳だった。

身柄を売り買いされるのだから、つまりは奴隷ということになるだろう。この奴隷の少年
は一度持ち主が替わってから、最後にファン・モール大尉の奴隷になった。スザンナの父
親がこのファン・モールだ。この奴隷の少年を身近に使うようになって以来、ファン・モ
ールは地位と財産が目に見えて向上するようになったのである。この少年がツキをもたら
したと考えたファン・モールは、かれをウントゥンと呼ぶようになった。

しかしファン・モールのウントゥンは最後にとんでもない災厄をもたらす疫病神になって
終わった。娘のスザンナに憑りついたのだから。そのときウントゥンは20歳だったとウ
ィキは述べている。

ウントゥンがファン・モールの疫病神になったのも当然で、ファン・モールが好運をもた
らすヤツと自分で言いながらウントゥンには再三ひどい仕打ちをしていたそうだから、ゼ
ロサムにならなければ収まらなかったのではあるまいか。ウントゥンは成長するにつれて
自分につらく当たるトアンに反抗的になっていったそうだ。ただしウントゥンとスザンナ
の恋愛が父親への仕返しのためだったのかどうかは良く判らない。ニコリナ・スロートの
小説では純愛として描かれているのだが、インドネシアの国家英雄に祭り上げられたウン
トゥンの本質を偉大なる反植民地主義者と定義付けたいひとびとは、かれをその座に導い
たグシッ・クスモをウントゥンのベストパートナーと考えたいだろう。[ 続く ]