「奴隷から王に(10)」(2023年08月22日)

一旦隠れたパゲランプグルが、反乱軍が引き上げたあとの王宮を確保して、対トゥルノジ
ョヨ戦のための軍事力の再構築を図った。一方、逃げた王と皇太子はVOCに頼って反乱
を鎮圧し、王座に復帰しようと考えた。ところがアマンクラッ1世はその旅路の途中で没
したのである。

皇太子は父王のアイデアを実行に移し、マタラム王国軍を再編してVOC軍と合同させ、
トゥルノジョヨの反乱によってマタラムから離反した北岸の諸領主を屈服させた上で、1
678年9月にクディリのトゥルノジョヨ軍に総攻撃をかけた。

フランソワーズ・タック大尉が指揮する攻撃部隊によって1678年11月にトゥルノジ
ョヨの本拠地は陥落し、クディリから逃げて山岳地帯をさまよっていたトゥルノジョヨも
1679年末にマランのガンタンで捕らえられてVOC軍の捕虜になった。ところがVO
C軍はこの捕虜を指揮官お抱えの捕虜として厚遇したのだ。それを見た皇太子は、VOC
がトゥルノジョヨと手を組むのではないかと恐れたようだ。もしもそうなれば自分の立場
が危うくなる可能性が高い。

1680年1月、トゥルノジョヨが東ジャワのパヤッに住む貴族の家で開かれる宴に招か
れた。同じように招かれた皇太子はそこでトゥルノジョヨに会い、自分のクリスを抜いて
トゥルノジョヨを刺殺した。


プレレッの王宮から逃げた兄をパゲランプグルは赦せなかったようだ。王宮を放棄して逃
げる王がいてたまるか、ということだったのではあるまいか。つまりは、王座に着くべき
人間は自分だということだろう。

皇太子はトゥルノジョヨ反乱の根を絶ったその年、1680年にスコハルジョに王宮を建
てて王都を移転させた。新王都はカルトスロと名付けられ、かれはすぐにそこでアマンク
ラッ2世に即位した。こうして兄弟喧嘩はプレレッとカルトスロ間の戦争に発展したが、
VOCにバックアップされたアマンクラッ2世に勝てる見込みを失ったパゲランプグルは
1681年11月にカルトスロに降伏した。


カルトスロ王宮重臣のヌランクスモの婿になったバリ人のウントゥン・スロパティはアマ
ンクラッ2世に気に入られたようだ。マタラム軍の一翼を担うよう王はウントゥンに命じ、
1685年バビロン村に屋敷を与えて王国軍の育成を行わせた。オランダ式の軍事訓練を
マスターしたウントゥンとその部下たちは王国軍の強化に大いに貢献したのではないだろ
うか。

だがVOCにとってのお尋ね者になっているウントゥンの所在をいつまでも闇の中に隠し
おおせるはずもない。ウントゥンがどこにいるのかはVOCにも十分わかっていたはずだ。
ただし、ジャワの最高権力者の懐に入ったお尋ね者をどのようにして捕まえるかが大問題
だったのではあるまいか。それがVOC上層部の悩みになったことだろう。下手なことを
してジャワの王を怒らせたら、政治問題に発展するかもしれない。戦争して負けるとは爪
の先ほども思っていないにせよ、また軍事費の支出を大きくしたら経営手腕を問われるこ
とになりかねない。VOC会社重役会ヒーレン17はそんな現地経営者の未来を闇の中に
閉ざしてしまうだろう。
で、VOCはとりあえずアマンクラッ2世に通告した。ウントゥン・スロパティは逃亡犯
罪者であるため、当方より派遣する護送部隊に身柄を引き渡していただきたい。

アマンクラッ2世は板ばさみになった。このたいへん優れた人材を自分の手中につないで
おきたい。しかしVOCとの友好関係も損ないたくない。王は考えた末に、芝居を打って
ウントゥンを地方に落ち延びさせることにした。そうと決まると、王はVOCに対して、
その者の捕縛に協力するという返事を出した。[ 続く ]