「奴隷から王に(11)」(2023年08月23日)

1686年2月、フランソワーズ・タック大尉の率いる部隊がカルトスロに到着した。そ
して王宮に参内してウントゥン引き渡しの手順を話し合い、王の下から退出して王宮の庭
に出た。整列している部隊を率いて王宮から出ようとしたとき、突然表門が閉められ、ウ
ントゥン部隊の攻撃が始まった。VOC部隊は全滅し、ウントゥン自らタック大尉の生命
を奪った。

バンテンのスルタンアグンティルタヤサとの戦争、トゥルノジョヨの反乱などで活躍し、
VOC軍戦力の中枢に置かれていたタック大尉はカルトスロ王宮の庭で生涯を閉じたので
ある。アマンクラッ2世はVOCへのこの事件の説明を、ウントゥンの反乱と逃亡という
ことで済ませた。

そしてウントゥンには舅のヌランクスモと共にパスルアンに行くよう指示し、パスルアン
の統治者になることに祝福を与えた。パスルアンには王自身が統治者を封じてあったが、
ウントゥンのために犠牲にせざるを得ない。

パスルアンの統治者オンゴジョヨはウントゥンとヌランクスモの軍勢が近付いてきたのを
知って、スラバヤに逃げた。スラバヤの支配者アディパティジャンラナは実名をオンゴウ
ォンソと言い、オンゴジョヨの弟に当たる。

オンゴウォンソにとってみれば、ウントゥンは兄の支配地を奪った悪党ということになる
のだが、ウントゥンとオンゴウォンソはカルトスロで親しくなった間柄であり、しかもパ
スルアン奪取のシナリオをアマンクラッ2世が作ったことがすぐに解ったから、弟は怒る
兄をなだめるだけで、パスルアンを取り戻そうとする動きをまったく示さなかった。

しかし別の歴史解説には、タック部隊は75人の死者を出しただけで、他の兵士は命から
がらVOC陣地に逃げ込んだと書かれていて、アマンクラッ2世のVOCへの説明は通り
にくいようにも思われるのだが、背信行為という非難はVOC側からアマンクラッ2世に
出されなかったようだ。


フランソワーズ・タック大尉の部隊を罠にはめて(多分)全滅させた事件について、こん
な話も語られている。

ウントゥン・スロパティをカルトスロ王宮から連れ帰る任務にみんなが尻込みしたため、
VOC軍エデーレ・ヒーレ・モール将軍が特別褒賞を与えるという条件を出して希望者を
募った。フランソワーズ・タック大尉がそれに応じた。大尉は二個中隊200人を率いて
バタヴィアを出発し、海路ジュパラに達して上陸するとカルトスロに向かった。

大尉はジュパラからアマンクラッ2世に使者を送り、ウントゥン・スロパティを引き渡す
ように要請した。アマンクラッ2世はアリヨシンドゥレジョ、アディパティチョクロニン
ラ、アディパティジャンラナ、パゲランプグルを集めて対策を相談した。

王国の軍隊がウントゥンを捕らえに行って戦闘し、ウントゥン部隊が王国軍を倒して逃亡
するというシナリオでおおよその方向性が決まった。VOC部隊がそこに加わると本当の
戦闘になるから、かれらにはその場に行かせないほうがよいということになり、パゲラン
プグルが細かいシナリオを考えた。

まず、ウントゥンはカルトスロ王宮に仕える人間でなくパティのヌランクスモの私兵であ
るということにし、パティとウントゥンが王宮に謀反を起こしたという筋立てにする。マ
ドゥラ勢とスラバヤ勢が40人の反乱軍とパサルで戦闘し、それから町のあちこちに移動
したあと、反乱軍が王宮に攻め込み、そこにVOC部隊を誘い込んで全滅させるという計
画ができあがった。

アマンクラッ2世はタック大尉に、ウントゥンの捕縛はすべてこちらでやるので身柄を引
き渡すまでのんびりしていればいい、と連絡した。それを信じたタック大尉の部隊はバニ
ュドノを出てカルトスロのアルナルンにやってきた。アルヨシンドゥレジョがそこにいて、
タック大尉の相手をする。

マドゥラとスラバヤの軍勢がパサルに向かった。パサルの方角から銃声や戦闘の音が聞こ
えてきた。しばらくしてから、伝令がアルヨシンドゥレジョに連絡を持って来た。戦闘に
負けて反乱軍を取り逃がしたという内容だ。タック大尉はそれを聞いて出撃命令を出そう
としたがシンドゥレジョに抑えられた。小勢だったから逃がしたが、兵隊はまだたくさん
いるから、必ず捕まえる。大尉のお手を煩わすまでもないことだ。[ 続く ]