「奴隷から王に(12)」(2023年08月24日)

そのあと、聞こえてくる銃声や騒ぐ音は移動していくが、伝令が持って来る報告はいずれ
も取り逃がしたというものばかり。ペペ川〜ブガス〜スンダン村とマタラム軍は負けてば
かりいる。タック大尉はいらいらしてきた。口ばかりで頼りにならないジャワ人の軍隊に
まかせていては自分の任務が果たせない。

そのあと、王宮から銃声が聞こえ始め、伝令がやってきて反乱軍が王宮に侵入したと言う。
タック大尉はVOC軍に出撃を命じた。こうしてタック部隊が罠にはめられたというのが
この話の内容だ。


パスルアンの統治者になったウントゥンはオンゴジョヨの宮殿に入り、その地の領主とな
ってトゥムングンウィロヌゴロを名乗った。一介の奴隷がついに独立領地の王になったの
である。反乱を起こして逃亡し、パスルアンを奪ったウントゥン・スロパティという偽り
のシナリオを維持するために、アマンクラッ2世は1690年にパスルアンに軍事侵攻し
て領地を奪回する芝居を打った。そしてマタラム軍は敗戦してすごすごとカルトスロに引
き上げた。もちろんその戦争もそういうシナリオの下に行われたものだ。そんなウソの戦
争で弾丸に当たって死んだ兵士も憐れなものだ。

パスルアンは、古くはカリンガ王国やムダン王国あるいはマジャパヒッ王国に服属した地
方領地であり、イスラム化が始まってからギリ王国の支配下でイスラム教化の一拠点にな
っていた。イスラム化の過程で乱れたジャワ島の覇権をマタラムスルタン国が掌握し、ス
ルタンアグンがジャワ統一を進めて東部ジャワを平定してから、マタラムに服属する地方
領地になった。

アマンクラッ1世がキアイダルモユドをパスルアンのブパティに任じて統治させて以来、
ウントゥン・スロパティは第5代目のブパティに当たる。ウントゥンが治めたパスルアン
は当時のジャワ島の経済規模においてかなり目立った通商規模を示し、住民は繁栄を楽し
んだと言われている。統治行政も支配者の恣意と専制の強くない地方として知られ、周辺
のマラン、プロボリンゴ、バニュワギなどに影響を与え、かなり広い範囲で住民生活が向
上した。


ウントゥン・スロパティのパトロンだったアマンクラッ2世が1703年に没し、息子の
ラデンマススティッノがアマンクラッ3世として即位した。ところがアマンクラッ3世は
人望がなく、パゲランプグルが王位を継ぐべきだという声が高まったため、1704年に
3世はパゲランプグルの一家を皆殺しにしようとして刺客を放った。パゲランプグルはV
OCの保護を求めてスマランに逃げた。

VOCの支援を得たパゲランプグルは自分の支持者たちの軍勢とVOC軍を合同させて3
世を攻め、カルトスロの王宮を奪った。3世はポノロゴに逃げた。1705年、パゲラン
プグルはパクブウォノ1世として即位した。

ポノロゴに逃げた3世は自分を保護してくれるポノロゴのアディパティに傲慢な姿勢で臨
んだ。些細な誤解のために3世がアディパティを折檻したことから、ポノロゴの宮殿と民
衆が3世を敵視し始めた。3世は仕方なくマディウンに逃げ、マディウンでも安住できな
くなってクディリに移った。

カルトスロにおけるその変化が、それまでウントゥンを保護していた情勢を大きく転回さ
せることになった。アマンクラッ2世に謀反して王の領地パスルアンを奪い、独立王国を
築いた形に表向きはなっていても、裏では2世が自分の手駒としてパスルアンに置いた同
盟者がウントゥンなのであり、2世の存在がパスルアンに向けられる銃口の前に立ちはだ
かっていたのだ。2世が没したあとも、3世が賢明な君主であればその形が継続し得た可
能性も想像されるが、歴史にもしもを訪ねるのは愚行だろう。[ 続く ]