「奴隷から王に(14)」(2023年08月28日)

ウントゥンは看守長に「椅子を与えて座らせよ。」と命じ、その若者から尋問を始めた。
ウントゥンはこの若者をVOCのスパイだと見た。パスルアンの内情を探っておき、攻撃
を開始したときに兵の動きを効果的にするのが目的だろう。

その推測は外れていなかったものの、証拠は何もない。聡明で度胸のあるその若者を拷問
にかけて殺すには惜しいとウントゥンは思った。若者は自分の身の上を正直に答え、自分
はオランダ人の母を持つプラナカンだと言い、母の宗教に従ったと語った。父親をまった
く知らず、母も小さいころに失ったので、両親について自分は何も知らないと物語る。


被告たちからテンゲルでのできごとに関する証言を聞いて、ウントゥンは事件の真相を察
した。村娘を襲っている十人ほどの男たちをそのキリスト教徒の若者がピストルで追い払
ったというだけの事件であり、娘を襲った男たちの中心にルンボノ王子がいたということ
がこの事件の核心だったのだ。一旦逃げた王子は兵隊を連れて引き返し、その若者とそこ
にいた村人たちを王子に害をなそうとしたという理由で捕らえたのがこの事件のようだ。

ウントゥンは息子のルンボノにも証言させたが、話のつじつまが合わない。わが息子への
怒りでたいへん不愉快になったウントゥンは判決を明日下すことにしてその法廷を閉じた。


ジャワ文化の中で育った息子たちとキリスト教徒の若者の人格の違いが今さらのようにウ
ントゥンに感銘をもたらした。人間というのはどうあらねばならないのか、どのように生
きるのが人間の務めなのか、それを息子たちはまるで解っていない。聖地に参詣に行くな
どと言いながら、やっていることはせいぜい村娘を手籠めにするくらいだ。

それに反して西洋文化の中で育ったあの若者は、弱い女が困っているのを見たとき、自分
が何をしなければならないのかを十分に理解しており、しかもそれを実践する勇気を持っ
ていた。自分が何であり、何を望み、何の義務を負っているのかを知っている。人間にと
って名誉とは何であるのかを知っているのだ。ウントゥンは大きくため息をついた。


そして自分の左手に持っている、さっきの若者が首からかけていた布袋に注意を向けた。
さっきの若者が牢獄に入るときにすべての持物が取り上げられたが、この身に着けていた
袋だけは渡そうとしなかった。「これは自分にとって生命と同じくらい大切なものだが、
他人には何の意味もないものだ。これを調べたいなら、裁判官にだけ見ていただき、また
わたしに返してほしい。もしも死刑になるのなら、必ずこれを一緒に墓に入れていただき
たい。」若者はそう看守長に語った。ここからスパイの証拠が出て来るかどうか、調べて
みよう。

ウントゥンは中身を出して机に置いた。手紙が数枚、ふたつに折られた銀貨の片割れ、女
性の肖像画、乾燥した花びらが数個、青いリボンの切れ端。手紙は女の手で書かれた愛を
語るラブレターだ。あの若者の仕事を物語るものはひとつもない。ところが女性の肖像画
を見つめたウントゥンは顔色が蒼白になり、すぐに銀貨の片割れを手にして感触を確かめ
た。そして棚に置いてある小箱のひとつを持ってきて、その中にある銀貨の片割れを机に
置いた。かれは震える指先でふたつの片割れを近づけ、そして併せた。ふたつは寸分の隙
間もなく一体になって、割られる前の状態に再現された。

目をみはったウントゥンはしばらく呆然とたたずんでいたが、椅子に崩れ落ちてつぶやい
た。「おお、神よ。こんなことが起こるのか?スザンナの子供がわしのところにやって来
た。」[ 続く ]