「クリピッとクルプッ(3)」(2023年08月28日)

インドネシアのクルプッはたいへん古い歴史を持っている。発祥はジャワと考えられてお
り、西暦紀元10世紀に作られたポノロゴのタジ碑文にkerupuk rambakというものが登場
している。ランバッは食べられる牛や水牛の皮を意味していて、つまり今で言うkerupuk 
kulitを指している。これはジャワ文化がヌサンタラに拡大したときにカリマンタン・ス
マトラ・マラヤ半島などの沿岸部地方に伝えられた。

別の説によれば、クルプッの発祥地はパレンバンで、ペンペッを作るように川魚のすり身
を混ぜたドウを作り、それを天日干ししてから薄片を油で揚げたという話になっている。
パレンバン名物のkemplangがその代表選手であり、これはパレンバンからバンカブリトゥ
ンやランプンに伝わって今ではスマトラ島南部地方がクンプランの故郷とされている。


上の二つの説を比較するなら、クルプッランバッというものは既述の定義に従うとクリピ
ッに該当する。ところが古代ジャワ人はそれをクルプッと呼んでいたという理解がその碑
文の事実から得られる。一方、パレンバンのクンプランという食べ物は現代のクルプッの
定義に沿ったものになっている。

起源にふたつの説が語られているから、どちらかが正しくてどちらかが間違っているとい
う視点でこれを眺めるのは短慮ではないかとわたしは思うのである。

古代ジャワ起源説はクルプッという言葉の起源であり、パレンバンのクンプランが起源だ
という説は現代語の定義に合致する品物の起源を物語っているのだという理解がなされる
べきではあるまいか。われわれは往々にして言葉と現物をごちゃ混ぜにして起源や由来を
眺める傾向を持っているように思われる。そこに短慮が出現するのだ。その品物が出現し
たときに最初からその名前だったのかどうかは判らない。ジャガイモの由来がオランダ人
に結び付けられている現象がその一例だろうとわたしは考えている。


さて、現代語の定義に即したクルプッとしてジャワに誕生したクルプッアチは、aciと呼
ばれるタピオカの粉でドウを作り、一度蒸したものを薄く切って天日干ししてから油で揚
げて膨らませたものだ。クルプッアチは19世紀のジャワに生まれた。シンコンの生産が
高まったことがこの食べ物を産み落としたのである。

1830〜40年代のころ、ディポヌゴロ戦争と強制栽培制度のためにジャワ島でコメ生
産が低下したことがシンコンを有力な食糧の地位に押し上げた。また、おかずにしていた
牛や水牛も不足するようになって、パサルに食材として出てきても値段が高すぎて一般庶
民層の手の届くものでなくなった。そんな状況の中で庶民層が働かせた知恵から、シンコ
ンの粉でクルプッを作ってそれをおかずにする習慣が生まれたという話が物語られている。
だったら、現代インドネシア人が白飯とクルプックを一緒に食べる習慣の源泉が強制栽培
制度下のジャワに出現したということになるのではないだろうか。


ランバッも最初はクルプッと呼ばれる食品として生まれた。これは元々王宮の貴族層が食
べるものだったようだ。しかし牛や水牛の皮の供給は潤沢にあったに違いあるまい。だか
ら上流階層の独占物にならなかった印象が感じられる。

ところが19世紀前半に起こったクルプッアチの出現が当時の社会情勢の中で食品の社会
ステータスを色濃く反映したことから、ジャワのプリアイ層はシンコンが使われているク
ルプッに手を出さなかった。低階層が米不足を補うために食べているキャッサバが貧乏人
のシンボルとされたからだ。そのためにプリアイ層にとっては世間体のはばかられる食べ
物になったに違いあるまい。シンコンは低級な食べ物という価値観が今から数十年前のイ
ンドネシアにもかなり強く残されていた印象をわたしは自分の体験の中に見出すことがで
きる。[ 続く ]