「奴隷から王に(16)」(2023年08月30日)

反対にウントゥンには新たな希望が湧きおこった。この国で自分が行ってきた統治は自分
の一代で終わり、王子たちのだれが自分の座に取って代わっても、この国の将来は衰退の
一途をたどるだろう。そう諦めていたウントゥンに一条の希望の光が差し込んだのである。
ロバートなら、わしの代わりが務まる。だが父親との邂逅に喜びの感情をほとばしらせな
いロバートの姿からウントゥンはロバートの心中の葛藤を察した。ロバートを説得してみ
るしかあるまい。それには時間が必要だ。

ロバートをしばらく王宮に置いて、折を見てロバートが自分の長男であることを明らかに
し、かれを王位継承者に指名することにしよう。すると当然、今や王妃となっているグシ
ッ・クスモと子供たちの敵になる。しばらくは何も言わないままわしの傍らにロバートを
侍らせて王の仕事に付き添わせるだけでいいだろう。

ロバートは最悪な環境の牢獄から、最高の環境である王宮の客室のひとつに移された。ウ
ントゥンはかれに注意を与えた。わしが与える飲食物以外を決して口にしてはならない。
わしが居るところでなければ、だれも客に迎えてはならない。鎖帷子を用意させるので、
おまえは衣服の下に常にそれを身に着けよ。

そして頼みをひとつ付け加えた。おまえが上官への報告義務を果たすためにここを去りた
いと思っても、わしに無断で逃げ出すようなことをしないでほしい。ロバートは言う。
「わたしは自由の身ではないということですね?」
「わしは自分の息子を牢獄につないで拘束したいと思わない。これは親子としての頼み事
だ。わしはおまえの意志を尊重したい。おまえが自分の生きる道を自分で選択するのは自
由だ。それを阻むようなことをわしはしたくない。おまえが去るなら去るでかまわない。
ただ、そのけじめだけをつけておきたいのだ。」
ロバートは父親の心を受け入れた。


それから毎日、ウントゥンはロバートを連れて国内の軍備を見て回り、自分の行う政務を
見せて説明し、大臣たちの報告の場にも立ち会わせた。グシッ・クスモと王子たち、そし
て諸大臣もその若者がだれであるのかを既に感づいていて、ロバートがだれなのかを尋ね
る者はいなかった。ウントゥンがひと言も説明しないにもかかわらずだ。

ウントゥンはロバートに自分の後継者としての教育をしていたのだが、VOCを蹴ってウ
ィロヌゴロの地位を継ぐ気持ちはロバートになかった。自分をVOCのスパイだと知りな
がら父はなぜこのようなことをするのか、ロバートには解せない。もしも自分が知ったこ
とをすべてVOCに報告したら父はどうするのか、そんなことをそこはかとなく尋ねてみ
た。父親はこう語った。自分が亡き後、この国の統治はお前のような人間が行うほうがよ
い。それがお前でなくて他のオランダ人であってもかまわない。そのほうがこの土地の民
にとってはよりよい結果になるだろう。

ロバートは思った。父は間もなく起こる戦争に負けると判断している。どうせ負けるのな
ら、国内の軍事機密が敵に知られても同じ結果になるだけの話だ。負ければ父の生命はあ
るまい。自分の死後、父はオランダ風の統治がこの地でなされることを望んでいる。VO
Cが勝ったとして、パスルアンの統治体制がどうなるのかは自分が予想できるものではな
いが、父は自分の希望をわたしに伝えようとしている。

もしも自分が父に就いて一緒に戦争すれば、父は総力をあげて戦争に勝つように努めるだ
ろう。それでも結果がどうなるか判らない。負ければ今父が抱いている希望は一抹の泡と
なって消えるだけだ。自分が一緒に泡となって消えるのは構わないが、この戦争に勝って
も負けても自分はオランダにとって裏切り者になる。自分にはそれができない。ディグナ
のためにも。[ 続く ]