「奴隷から王に(17)」(2023年08月31日)

パスルアン征伐のためにVOC軍1万5千人がバタヴィアを発してスラバヤに上陸したと
いう噂がかまびすしくなった。スラバヤに待機していたマドゥラ軍とスラバヤの軍勢が一
緒になってまもなくパスルアンに向けて進軍を始めるだろう。戦争が始まる。世の中が戦
々恐々とし始めた。しかしウィロヌゴロは勝算のある顔をしてゆったりと構えている。敵
の進発はまだだ、とかれは予言者のようにパスルアン軍の幹部たちに言った。それもその
はずで、スラバヤのアディパティであるオンゴウォンソがかれに内通していたのだから。

老齢のマドゥラのアディパティが、月が満ちるまで進発しないと言い張っている。その状
況をスラバヤからの密使が伝えてきた。オンゴウォンソはウィロヌゴロに、今回のパスル
アン進攻で自分がどのような行動を執るかについて、先に知らせてあった。自分は戦場に
出ず、他の者がスラバヤ軍を率いて従軍する。かれらは最悪の道案内人になり、困難な道
を時間をかけて通過した後、バギルに近い湿地帯に踏み込む。そこを攻められたら万余の
軍勢も総崩れだろう。

このパスルアン進攻にウントゥンはそれほど不安を感じていなかった。それよりもっとか
れが心配したのは、国内統治体制が崩れ始めたことだ。妃のグシッ・クスモがロバートの
排斥に動き出したのだ。王子たちは元より、政治軍事の要職者たちも、王子を襲ったVO
Cのスパイが王を口車に乗せ、パスルアンをVOCに売り渡すように仕向けているという
印象を抱いた。要職にあるキアイがあちこちで王の批判を語るようになり、ジャワ人もバ
リ人も行政官から軍人に至るまで、王の失態を批判して王の命令に不服従の態度を示す者
が増加した。王の妃がそのありさまをまるで増長させるかのようにふるまっている。この
国は戦争に負ける前に内部崩壊してしまうだろう。ウントゥンは戦争が早く始まることを
望んだ。戦争が始まれば、内部崩壊の動きは止まるだろうから。


1706年9月、スラバヤのアルナルンに1万5千人を超える大軍勢が整列した。馬上で
その大軍を指揮するホーヴァート・クノール少佐の直属参謀としてファン・ベルヘン大尉
が付添い、VOCスラバヤ駐屯軍の士官たちがそれぞれ一個旅団を率いる。兵士はオラン
ダ人・ジャワ人・バリ人・アンボン人・ブギス人・マカッサル人が入り混じっている。

次いで1千人を超えるマドゥラの軍勢が、老齢のアディパティに率いられて並ぶ。軍勢の
先頭に立つのはスムヌップとパムカサンの王族たちだ。アディパティのすぐ後ろに黄金の
槍がきらめいている。そして最後に連なるのがスラバヤの軍勢だ。兵士たちはアディパテ
ィ配下のレヘントに率いられている。VOCはたくさんの大砲を用意した。その大砲と弾
薬、そして食糧などの軍需物資をパスルアンまで運ぶために水牛2百頭、クーリー5千人
が軍勢の後に付き従う。


総指揮官の訓辞が終わると、この大軍は進発前の腹ごしらえに入った。スラバヤには食糧
がたっぷりあるから、そこに集まっている膨大な量の胃袋を満たすことなど造作もない。

ジュパラの王女だったアディパティの妻のラデンアユは心優しく細やかな女性だったから、
このたいへんな量の食べ物を料理したり果実を用意したりするためにこれまた一軍勢ほど
の女たちを指揮して美味な食事を一兵卒にいたるまでたっぷりと賞味させてくれた。この
大宴会の間中、アルナルンの一角に陣取ったガムランの楽団が奏でる音楽が空中に満ち満
ちた。


軍勢の指揮官たちが入れ替わり立ち代わり、アディパティジャンラナのご機嫌伺いにやっ
てくる。笑い声がはじけ、ワイングラスを触れ合わせる音が続く。そうやって楽しそうに
振舞っていたオンゴウォンソの顔が突然蒼白になり、手が震えて飲み物を服の上にこぼし
てしまった。そばにいたアディパティマドゥラがそれを見て大声で笑った。「飲みすぎだ
よ。進軍に同行しないからと言って、そう飲みすぎちゃよくない。」

だがそれに答えず、オンゴウォンソの目は食べ物をそこに運んで来た壮年の奴隷の顔を盗
み見て何かつぶやいた。「こんな危ないことをするとは、なんと向こう見ずな・・・」

「なんの、殿様。たいしたことじゃありません。」奴隷はちょっと低目の、しかし普通の
声で言った。そんなオンゴウォンソと奴隷のやり取りに注意を向けた者はひとりもいなか
った。[ 続く ]