「クリピッとクルプッ(5)」(2023年08月30日) クルプッは誰にでも簡単に作れる食べ物であるとはいえ、多くのひとが食べたいと思うよ うなものはそう簡単に作れない。良いクルプッはタピオカ粉で作られるが、二級品はタピ オカと小麦を混ぜた粉が使われている。クルプッの味覚を決めるのはレシピを作る人間の 才覚と感覚だ。味覚として混ぜ込まれる魚・エビ・塩・砂糖などの配合が製品の良し悪し を決める。 クドゥンレジョのとある生産者のマーケティング責任者であるアリフィン氏はこう語る。 「クルプッの材料というのはどれも似たり寄ったりのものだ。生産者はだれもが同じ物を 使っている。ところがみんな他者とは違う味にしようと努め、自分の製品は他の製品と味 が違うことを主張する。その味が消費者に受け入れられたら、かれは市場を握ることにな るのだ。だからクルプッ工場は良いレシピを作る者を奪い合いで探し求める。」 工場間でレシピ作りを引き抜き合いしているという話もまんざら嘘ではないそうだ。レシ ピ作り者から良いレシピを買い取る工場もあるが、自分の工場ではそんな人間を正社員に 雇用して品質のユニークさを確保することに努めている、とアリフィンは述べている。 一方トラシ村の家内工業規模のクルプッ生産者のひとりエディ・スエブさんは結婚してか らこの世界に入った。奥さんの母親、つまり姑がクルプッ生産者だったのだ。最初は姑の 製品と異なる、もっとモダンなものを開発しようとしてさまざまなレシピを試した。2年 間それを続け、その間R&Dに努めた。そして最終的に得た結論は、姑のレシピの方が確 実に売れるという冷厳な事実だった。かれはいま、姑の後継者になっている。 そのような相伝レシピと無縁のモダン工場であれば、ジョブホッピングする従業員のおか げでヒット作品が生まれることもある。ある工場で生産工程にいた従業員がそこを辞め、 次に別の工場に雇われたときに前の工場での経験をそこの生産工程の改善に役立てるとい う経緯がそれだ。前の工場でよく売れていた製品と同種のものが新しく雇われた工場では あまり売れていないというケースがあったとき、その従業員は有益な意見を新工場の管理 者に提供できるのである。 たとえばクルプッウダンに使われるエビの比率が前の工場ではたいへん大きかったのに、 この工場では小さいといったことが一例だ。エビをどっと使えば旨さは大きく違って来る。 しかしニンニクでそんなことをしてはいけない。ニンニクでクルプッを作る場合、ニンニ ク2キロに粉40キロが限度であり、ニンニクの比率をそれ以上高めるとまずくなる。ト ラシ村の工場で働いている中堅従業員のひとりはそう物語っている。 スマランのトゥンタンも有力なクルプッの産地だ。中部ジャワ州スマラン県トゥンタン郡 トゥンタン村はソロとスマランを結ぶ国道20号線のほぼ中間くらいの位置にある。およ そ6千人の人口を擁し、村を構成している6部落のうちのガディン部落とプラグマン部落、 そしてチカル部落の一部がクルプッ生産センターになっている。 1950年代にトゥンタンでクルプッ生産が始まったころに作られていたのはシンコン粉 で作る大型のクルプッレンデンだった。クルプッレンデンは赤色と白色のものが作られた。 今作られているクルプッレンデンは小さく切ったもので、波打っている形状をしている。 辣味をつけたレンデンを作る生産者もいる。 1980年代に入って、クルプッ生産者の中にgaplekの粉を使う者が増えてきた。ガプレ ッとはシンコンを乾燥させて保存食にしたものだ。食べ物が欠乏したとき、ガプレッを砕 いてコメのようにして食べる。それを細かい粉にしてクルプッの素材に使いはじめたので ある。トゥンタン村の生産者が使う素材のシンコンはトゥマングン県ピギッ、スマラン県 バウェン、サラティガなどで生産されている。 大豆のクルプッkerupuk kedelaiの生産も1980年代に始まった。1985年、それま で赤または白の色だったクルプッレンデンが改良され、一枚のクルプッが赤白の二色で作 られるようになった。[ 続く ]