「クリピッとクルプッ(7)」(2023年09月01日)

また、取引関係が長期にわたって継続している流通業者の支払いは製品集荷の一週間後に
行われているが、別の業者が新規に取引関係を結ぶとき、生産者は必ず現金決済を要求す
る。なじみになることが信用の基盤に置かれていると言えるだろう。

ただしこの信用は取引決済の面にのみ発生するものだ。信用して相手に全幅の信頼を置く
というようなものではない。市況が良い時期であれば、流通業者は製品を全部引き取って、
更にもっと作れと言う。ところが市況が悪化すると、引き取り数量を減らすようになる。

生産者の事業コストが赤字になろうが借金の返済に困ろうが、それは生産者側のリスクに
なるのだ。昔からクルプッ製造を行っている生産者であっても、長い取引関係にある流通
業者との間でさえそんなありさまだ。

新規に生産者になった者はもっと弱い立場に立たされる。流通業者がやってきて、売って
やると言う。しかし支払いは売れたものだけ、販売後になされる。こうなればまるで委託
販売になる。古くなって売れなくなった物が返品され、出荷数マイナス返品数の数だけ金
が入るということになりかねない。

ところが市場が過熱状態になっていれば、また違う反応が示される。そんな時期になると、
流通業者は前金を置いてでも新規生産者に作らせようとする。トゥンタンの生産者の多く
は流通業者に振り回されているのが実態なのである。そんな取引状況に、人種の絡みがた
いてい混じり込んでくる。生産者は地場の村人であり、つまりはプリブミだ。流通業者の
多くはインドネシアの経済を握っていると言われることの頻繁な東アジア人系なのだ。

そんな状況はどんどんとその方向性で深みに入り込む様相を呈している。古い生産者のひ
とりは、「かつてこの村のクルプッ生産が振興し始めたころ、製品はスマラン市やソロ、
クドゥスなどの近郊諸都市に流れていた。ところが今では完全にジャカルタの商品経済の
下請けに組み込まれてしまった。トゥンタン村のクルプッ製品はほとんど全部が一旦ジャ
カルタに入り、その後どこに住む消費者の口に入っているのか、生産者にはまるで推測す
ることもできない。」と現状を語っている。


1997年に中部ジャワ州プルウォレジョ県で県内の鶏の足の消費が低下している現象に
県庁が注意を向けた。昔から廉価な食材として商品価値を持っていたというのに、経済レ
ベルがそれほど向上したわけでもないにもかかわらず生活様式の変化に沿って一般家庭が
あまり見向きもしない状況が起こっていたのだろう。

ちなみに長く鋭い爪のある鳥獣の足はインドネシア語でcakarと言う。mencakarにすれば
爪でひっかく意味の動詞になる。英語のskyscraperは摩天楼という日本語に訳されたが、
インドネシア語ではpencakar langitと訳されている。

なので鶏の足はcakar ayamなのだが、ちょっと訛ったceker ayamもまったく同義語として
標準インドネシア語になっている。ところがジャワ人はチャカルを鳥獣一般のもの、チェ
ケルを鶏のものとして使い分けているそうで、わたしのジャカルタでの体験でも、確かに
飲食店に入るとチェケルの発音ばかりを耳にしたような気がする。

県庁はクルプッチャカルアヤムの生産をクルプッ生産者に提案した。鶏の足を粉砕して粉
と混ぜ、ドウを薄片にして乾燥させるのである。家内工業的な規模で行われている村落部
のクルプッ生産者たちが県内の流通ルートにその試作品を流したところ、消費者からの意
外に良い反応が返って来た。街中のスーパーでも田舎のワルンでもよく売れているという
状況に県庁は大いに喜んだそうだ。[ 続く ]