「奴隷から王に(19)」(2023年09月04日)

指揮官が入れ替わったバギル要塞は次の攻撃で陥落した。攻撃軍がパスルアンに攻め込ん
でくると誰もが考え、パスルアンでは大勢の住民が町から逃げ出した。だが雨季が始まっ
たのだ。激しい雨が降り始めた。

クノール少佐は戦闘行動の困難さ、傷病兵の多さ、そしてアディパティスラバヤの裏切り
の可能性などを勘案して、パスルアンへの進撃を躊躇した。そこにきて、アディパティマ
ドゥラが帰還を言い張り、またパスルアン軍の別動隊がスラバヤに攻撃をかけるという噂
も出てきたために全軍をスラバヤに戻すことを決めた。パスルアンは戦火から免れたので
ある。ウントゥンは担架で宮殿まで戻ることができた。


夫が重傷で戻って来たという報告を聞いて、グシッ・クスモが急いで見舞いに来た。ウン
トゥンは死に往く者の最期の頼みを聞いてくれと妻に言い、グシッ・クスモは夫の頼みに
従うことを約束した。それはロバートが自分を後継することを承知した時のための伏線だ
ったようだ。ウントゥンは傍にいる者にロバートを牢獄からここに連れて来るよう命じ、
ロバートが来たのでグシッ・クスモにその場を外させた。

自分の後継者になってこの国を統治してほしいとウントゥンは最期の頼みをロバートにぶ
つけた。だがロバートは死に瀕している父の頼みに従うことができなかった。ロバートは
自分を形作ったオランダから離れることができなかったのだ。一国一城の主になり栄耀栄
華の暮らしを送るということが、かれをオランダから引き離すだけの価値を持っていなか
ったということになるのだろう。自分の安住の地がどこであるかということがロバートに
はよく分かっていたにちがいあるまい。


ウントゥンはロバートを去らせ、ロバートはウィラユダの案内でトサリに向かい、そこに
身を隠した。そしてしばらくしてから地元民に身をやつして父の墓参りをし、そのあとバ
タヴィアに向かった。

バタヴィアのVOCはウントゥンが死んだことを喜んだ。しかしクノール少佐がバギルか
らパスルアンへ進攻しなかったことが問題にされた。同時にアディパティスラバヤの姿勢
も問題にされた。背信の容疑だ。

パスルアンではウィロヌゴロの三人の王子が遺産をめぐって激しく対立し、紛争が起こっ
たのでブランバガンがパスルアンを属領にした。ブランバガンとは今のバニュワギにでき
た王国で、ジャワ島イスラム化の最後までヒンドゥ王国として生き残っていた国だ。


1707年、バタヴィアのVOCはパスルアン攻略をヘルマン・デ・ヴィルデに命じた。
かれはスザンナに恋した男のひとりであり、スザンナの心がウントゥンに奪われてしまっ
たために怨恨を抱き続けていた。

7月18日にVOC軍はカルトスロを出発し、ソロ川ブランタス川を経てクディリを攻め、
アマンクラット3世はスラバヤに逃げた。VOC軍は続いてパスルアンに向かい、領内に
攻め込んだ。ロバートはパスルアン領内の地理と軍備の詳細を指揮官に教えてVOC側の
戦果を高めるのに貢献した。

ところがデ・ヴィルデは遺恨を晴らすためにウントゥンの墓をあばき、遺骸を掘り出して
アルナルンで焼き、灰を海に捨てさせたのである。ロバートの心中はどんな思いで満たさ
れただろうか。軍事征服されたパスルアンはパクブウォノ1世の領地に戻された。アマン
クラット3世はマランに移り、ウントゥンの息子たちと一緒になってパクブウォノ1世に
対する反抗闘争を続けた。[ 続く ]