「クリピッとクルプッ(10)」(2023年09月06日)

現代のパレンバンでクンプランはクルプックンプランという言い方で呼ばれない。パレン
バンでは単にクンプランとしか呼ばれないのだ。ジャワに興ったクルプッという言葉がイ
ンドネシア語の一般名称になったためにインドネシア人の多くがクンプランをクルプッの
カテゴリーに入るものとしてクルプックンプランと呼んでいる。しかしパレンバン人にと
っては、由緒をたどれば元々がただのクンプランという名称だったのだから、最初からこ
の品物はクンプランでしかなかったということではないかと推測される。

おまけにクルプッという言葉をパレンバン人は、クルプッ一般が持っている薄板形状のも
のでなくて麺のように細く成型したドウをグニャグニャと薄い円柱状あるいは円盤状に形
作ったクルプッミーを指して使っている。だからクンプランをクルプッという言葉で呼ぶ
と違う意味に取られるおそれがあるため、パレンバンでは言葉の選択に注意する必要があ
るだろう。


クンプランは装飾用のものも作られていた。tunjungという花の連なった形態に色が添え
られて作られたもので、クンプラントゥンジュンと呼ばれた。これは結婚式や祝祭あるい
は集会などの会場を飾るのに使われるものであり、パレンバンのアダッに従えば、会場に
置かれたクンプラントゥンジュンはその催しが終わるまで食べてはいけないとされていた。
催しが終わったあと、新郎新婦の家族や催事を運営した委員たちが催しの無事終了をねぎ
らって食べるものだったのだ。

ところがアダッに従う者がいなくなり、催事進行中にそれをボリボリやる者が増加したの
である。これは逆効果だと思った主催者が会場にそれを飾るのをやめるようになり、需要
がなくなったために生産も消滅しかかっているという話だ。


アンペラ橋からさらにムシ河の上流に向かうと、ムシ河に流れ込んでくるゴレン川があり、
その合流地点にスガイゴレンSungai Goren部落がある。スガイゴレン部落はムラユ系パレ
ンバン人の居住地区だ。かつてこの部落は二パ煙草の産地として名を知られていたが、煙
草が社会的な斜陽産業になったために今この部落はクンプランの産地になっている。19
90年代に入ってから、スガイゴレン部落はパレンバンにおけるクンプランの生産センタ
ーとしてその名が定着した。

この部落に足を踏み入れればその実態が明白に判るだろう。部落内のいたるところでクン
プランのドウや薄片が陽光の下に天日干しされているのがいやおうなしに目に入って来る
のだから。この部落の生産量は一日当たり150〜500キログラムだそうだ。

スガイゴレン部落で生産されるクンプランはパレンバン市中心地区にあるさまざまな商店
やパサルに卸されている。しかし商店の店頭に置かれているクンプランの商品パッケージ
にはその商店のブランド名が印刷されているのである。ここでも、隣り合う商店の陳列棚
に置かれた別ブランド別価格の商品の中身が、同一生産者が作った同じ物である可能性を
否定しきることができない。


クンプランはバンカブリトゥン州にも伝わった。だが素材の川魚は無条件で海のさわら魚
に入れ替えられたようだ。バンカ島の北部にブリニュという町がある。元々、漁港として
発展した町であり、古い昔からさわら魚が有り余るほどこの町に転がった。魚を素材に使
う食べ物にさわらを使うのは地元民にとって当たり前の行為であり、さわらのクンプラン
が作られて全島をブリニュ産のさわらクルプッが覆いつくした。

島内のどこへ行こうが、商店で販売されている袋入りの魚クルプッは、生であろうが調理
されたものであろうが、ブリニュ産の製品にまず間違いない。ブリニュはバンカ島のクル
プッ生産センターになり、さらにペンペッやオタコタッotak-otakの生産センターにもな
っている。[ 続く ]