「クリピッとクルプッ(14)」(2023年09月12日)

マアナの事業を見て追随した村民が何人か出た。そのひとりがイヨッさんだ。かの女はル
バランシーズンに受注生産するスタイルで事業を始めた。スムダンでオパッがルバランの
食べ物のひとつというステータスを獲得したため、毎年大きい需要が発生した。イヨッは
1996年に引退して娘のイマスさんと娘婿のドゥダンさん夫婦が後を継いだ。イマスが
生産運営と経営を管掌し、ドゥダンが販売を担当した。

ドゥダンは郡役所前のアルナルンに売場を開き、また西ジャワの主要都市にある食品販売
店を回って製品の卸売に努めた。スムダン・バンドン・マジャレンカ・チルボン・スバン
・ガルッ・チアミス・タシッマラヤ・バンジャルときわめて広範囲な販売網の構築をかれ
は行ったのである。かれは製品にOpak Odedというブランド名を付けた。Odedというのは
Opak Dudang Enak Dimakanの頭字語だ。

イヨッとドゥダンの夫婦が1996年ごろ生産したのは一日10キロ程度だったが、20
06年には一日100キロの生産量になっていた。生産現場に雇用されている人数は50
人だ。既にジャカルタ・ヨグヤカルタ・バリからオパッオデッの仕入れオファーが入って
きているものの、生産能力が追い付かないために新販売ルートはまだ開かれていない。

ドゥダンは2004年にシンガポールで開催された展示会にも出品したことがある。その
ときに百店を超える販売スポットを持つシンガポールの小売事業者が商談を持ちかけた。
需要は月間数トンにのぼるが、条件として毎月コンスタントに製品が納入されなければな
らない。ドゥダンにとってはこれも将来の宿題のひとつになった。


オパッオデッのように人気ある商品を作っている生産者のひとりがウイスだ。Opak Niaの
ブランド名を付けたウイスの製品はマレーシアに輸出されたことがあり、またドイツにお
土産として持って行ったひともいる。生産量はまだ一日50キロであり、バンドン・スバ
ン・ガルッ一円が市場になっている。ジャカルタや他の大都市から引合いが入るものの、
納入量が折り合わないところがオパッオデッとよく似ている。

西ジャワ州庁ではオパッ産業振興のキーポイントが生産量にあるとして、州農業通商産業
局が県庁と合同で2004年にオパッ集中生産施設Babakan Opak Conggeangをチョンゲア
ン村に設立した。行政がらみで技術開発・労働力・インフラなどの弱点を強化することが
その設立の主旨であり、市場が求めている日産数トンという生産量を確保する点に目標が
置かれている。

ババカンオパッチョンゲアンには作業場として使われる建物が建築され、生産者たちはそ
こで協働しながら目標達成を目指して働くことになる。その生産施設で働く労働力は数百
人が見込まれており、地元周辺一帯の雇用が大きく拡大すると期待されている。チョンゲ
アン村で既存の各生産者がこれまで雇用してきた労働力の8割が女性だそうだ。

ババカンが近いうちにスタートしようとしている現時点でチョンゲアン村のオパッ生産者
は25軒を数えるまでになっており、代表的なブランドとしてOpak Oded, Nia, Dana, Ma 
Anah, Marisa, DPO, Mds, Cimey, Barokah, Imas, Sugema, Karunia, Sukses, ONH, MJ, 
Citra Mandiriなどと多彩な顔ぶれが並んでいる。それらの生産者が達成している生産量
は月間で5.8トンにのぼる。それだけの米せんべいオパッを作るためにモチ米7.3ト
ンが消費され、またモチ米にココナツ果肉フレークを混ぜるので、モチ米1キロ当たりヤ
シの実1個が必要とされる。つまり月間7千3百個のヤシの実が同時に消費されているの
である。モチ米の仕入れコストは1キロ4千5百ルピア、ヤシの実は1個1千ルピア。一
方、製品のオパッはキロ当たり2万8千ルピアに値付けされており、オパッのおかげで村
の中を毎月1.6億ルピアの金が動いていることになる。[ 続く ]