「ジャワの田舎にJapanがある(終)」(2023年09月13日)

1838年9月12日付のオランダ東インド総督決定書第14号でブパティ領ジャパンが
モジョクルト県に変えられたとき、どうしてジャパン県という名称が続けられなかったの
か、その理由について奇妙な話がある。

Djapanという言葉はmalasの意味であるから、強制栽培制度を実施する中でプリブミを勤
勉に働かせることに努めなければならない時期にそんな名称の新県を発足させてどうする
のか。ジャパンという名称は無くさなければならない。そういう理由でモジョクルト県と
いう名称への変更が決定されたのだ、とJFニルメイヤーは書いている。


もう一度念のために書いておこう。オランダ人にとっての日本はヤパンであり、ジャパン
は日本と無関係な単語だ。ジャという音がオランダ語にないためにジャパンという発音の
言葉は外来語に該当するのである。怠け者という意味のジャパンという言葉をオランダ人
はいったいどこの文化から摂取したのだろうか?これはまるで雲をつかむような話だ。

しかしひょっとしてオランダ人にとってのdjapanが英語のJapanに由来していた可能性が
ないとは言えないと思って調べてみたものの、やはり的外れだった。江戸時代末期に英語
国の人物が日本を訪れた最初は1845年の米国人マケーター・クーパーであり、イギリ
ス人は1859年のラザフォード・アルコックが嚆矢になっているようだから、1838
年のオランダ人が英米国人の言う「ジャパンは怠け者だ」という批評を聞くことは起こり
得なかっただろう。


ところが、ジャパンは怠け者だというのが悪口でなくて本当の事だったという記事が見つ
かった。幕末から明治初期にかけてたくさんの西洋人が日本にやってきた。日本人一般の
仕事ぶりが工業化時代に入ったかれらの目に、そんなんじゃあとても勤労とは呼べないよ
というように映ったという話がある。

25年間の滞日生活を送った米国人宣教者シドニー・ガリックが1903年に出版した書
物には、明治初期の日本人が将来のことなど深刻に考えず、その日その日をのんびりと情
緒豊かに暮らしている様子が記されている。あるイギリス人は、日本人が物事を考えよう
とせず、考えるということをするようにだれも教えない、という印象を抱いた。

1859年に日本に来たドイツ人は、何もすることがなく、何もしない大勢の人間が日本
にいて、かれらは集まって茶を飲み、タバコを吸い、さまざまな話をしあって一日の大部
分を過ごしている、と書いた。無精で怠惰な人間が世の中に充満していて、生産的なこと
をしようという考えを持っていない日本人の姿がかれの目に映ったようだ。

会議や集まりを計画しても、開始時間にやってこない人間が少なくない。それが他人の時
間を無駄にさせているということすら気にかけない。社会効率という面から他人の足を引
っ張っているという意識が欠如している。

1871年に福井藩に雇われたエクスパットのウィリアム・グリフィスは、京都で出迎え
の藩士と会い、一緒に任地に向けて旅をした。一行の動きは腹が立つほどゆっくりしてい
て、眠ったり、タバコを吸ったり、茶を飲んだり、ぶらぶらしているばかりで、ろくに前
進しない。いざ福井で仕事を始めたものの、米国で1日半で終わるような仕事を日本人に
させると3日かかったそうだ。

19世紀後半の西洋人にとって、日本が怠け者の代名詞になっていた可能性は確かにあっ
たかもしれない。それにしても、いま日本人がどこかの国でそこの国民に昔言われていた
ようなことを言っているのは歴史のいたずらだろうか?[ 完 ]