「クリピッとクルプッ(16)」(2023年09月14日)

ザイナルの十八番はランバッおよび紫芋とバナナのクリピッ生産だ。紫芋とバナナのクリ
ピッはルバランシーズンに大量の需要が起こる。かれがクリピッ生産事業を始めたとき、
一日の生産量は5キロだった。それが今では40キロに達した。その生産活動のために厨
房に16人、包装作業に50人を雇用している。

ザイナルはクリピッもクルプッもキロ売りでなくて袋売りをしている。消費者小売り価格
が1袋100ルピアだから、ザイナルの出荷価格は64ルピアになっている。しかしルバ
ランシーズンだけは例外で、その時は2キロを1万5千ルピアで売る。

平常月の売上は2千万ルピアに上っているそうだ。販売は仲買人に対して行っている。ザ
イナルの製品を仕入れにやってくる仲買人はボヨラリとジャカルタに持ち帰る。ザイナル
は仲買人に引き渡す製品分だけその場で支払いを要求する。その昔、ある仲買人が7百万
ルピアだけ払って1千2百万ルピア分の製品を持ち帰った。次に来たとき不足分を支払う
ということにしてあったというのに、次に来たときは支払いでなくて売れ残りを返品して
来た。それに懲りた結果だとかれは語っている。

かれの製品が1袋100ルピアで売られているのはスラゲン・ボヨラリ・ソロ一帯であり、
ジャカルタでの小売価格は300〜500ルピアにもなっているそうだ。

 
東ジャワ州ボジョヌゴロ県ガスム郡の村々でkripik garutが作られている。ガルッという
のは確か西ジャワ州の県名だったから、ガルッ県と何かの関連性を持っているのだろう、
という推測は外れていた。

ガルッというのは熱帯アメリカ原産植物のインドネシア名であり、英語でarrowrootや
maranta、日本語でクズウコンなどと呼ばれている。その植物の地下茎が食用に使われる
のだ。ならば現在のガルッ県の地名はクズウコンに由来していたのだろうか?そうとも言
えるが、どうやらそんな単純な話ではないようだ。ガルッという県名の由来譚はこうなっ
ていた。


1811年にダンデルス総督がLimbangan県でもっと低地にまでコーヒー栽培を広げさせ
るよう命じたが、県令がそれを拒否したためにリンバガン県が行政区画から抹消された。
1813年にラフルズ副総督がリンバガン県を再開させてスチに首府を置いたものの、ス
チという場所の天然の地勢では土地が狭すぎるという意見が続出し、新首府をもっと広い
場所に移すための委員会が設けられた。

委員会はより良い土地を求めて近隣一帯を徒渉し、地味が肥えて水の便も良い、広い土地
を見つけた。飲料に適した自然水の池があり、その水質を確かめるために委員たちが藪を
越えてそこへ行った。ところが委員のひとりがMaranthaの藪に腕をひっかけて傷を負い、
出血したのだ。

この委員会の探査にはオランダ政庁の役人がひとり同行していた。委員のひとりが血まみ
れの腕をしているのをそのオランダ人行政官吏が見て「どうしたのか?」と尋ねたところ、
傷を負ったスンダ人の委員が「Kakarut.」と返事した。このスンダ語はインドネシア語の
kena garut→kegarutに対応している印象をわたしは感じるのだが、その正誤をまだ確認
できていない。

それがオランダ人の耳に「Gagarut.」と聞こえたらしい。オランダ人がオウム返しに「オ
ー、ガガルッ。」と言ったから、委員会の探査に随行していた下働きの庶民たちが、その
マランタのことをKi Garutと呼ぶようになった。おまけにそこの飲用可能な水を満々とた
たえている池もCi Garutと呼ばれるようになったのである。[ 続く ]