「中国製品はなぜ廉い?(2)」(2023年09月19日) だから当然、西洋文明に追い着くまでの期間に生産された日用工業製品の品質は学校生徒 の作るようなものになったにちがいあるまい。西洋製の舶来品と国産品の価値が、たとえ 国産品の品質が遜色ないレベルに向上したあとでも、異なるありがたみを持っていた時代 が後遺症として終戦後かなりの時期まで大衆庶民の間に続いたのではなかったろうか。 たとえば、西洋製のホンモノブランド万年筆が手に入れば、それは机の引出しの奥深くに しまいこまれ、晴れの機会が来るまで他人の目に触れさせるような扱いなどしないのが一 般的日本人の行動になっていたような記憶が浮かんでくる。つまり西洋製と国産品はそれ ほど品質に差があって価格が違い、おのずと価値に差がついて格が異なっていたという歴 史が日本にもあったのである。 日本が軽工業量産品を輸出するようになったとき、世界市場を握っていた西洋人は「安か ろう悪かろうのメイドインジャパン」を世界中で常用語のひとつにした。なんとこのポイ ントに関する限り、日本は中国に先駆けていたのだ。 その「安かろう悪かろう」商品はオランダ東インドで、主にトコジュパンで販売された。 トコジュパンについては、 < http://omdoyok.web.fc2.com/Kawan/Kawan-NishiShourou/Kawan84-NorthYellowHobbit.pdf > 中の記事をご参照ください。 西洋人がこき下ろした粗悪なメイドインジャパンではあっても、プリブミが暮らしている 低経済市場で十分に消費者の手が届く、そこそこ使える商品であったために、日本とオラ ンダ東インド間の貿易は年々増加して行った。 今から30〜40年くらい前のジャカルタ近郊電車ボゴール線の車内で、物売りがさまざ まな雑貨商品を抱えて売り歩いていた。裁縫針や糸・ボールペン・髪はさみ・人形・・・ 信じられないくらい廉い値段だ。原産地表示のある物はすべからくメイドインチャイナと 書かれている。いやそんなものを調べるまでもなく、プラスチック包装の表面に漢字が踊 っているのだから、一目瞭然だろう。 インドネシアの国産品ですら、なかなかそんな低価格で販売している店やワルンを見つけ ることはむつかしい。かつて耳にした話によれば、物売りたちはジャカルタコタのパサル パギで量買いをしてから、そのまま電車に乗り込んでその品物を小売りして歩く商売のス タイルをとっていたそうだ。市中の雑貨ワルン店主の中にもパサルパギやパサルジャティ ヌガラへ仕入れに行くひとびとがいる。それをすれば利益率が跳ねあがると店主のひとり はわたしに教えてくれた。 そのような雑貨品であれば、そこそこ使える限り価格の廉いほうが消費者の購買意欲をそ そるにちがいあるまい。ハンドバッグに一本入れておくためのボールペンを買うのに、ヘ ッドボールの滑りの良し悪しを調べたり、あるいはフランス製か中国製かといった格付け を斟酌するひとはあまりいないのではないだろうか。インドネシアでみんながチェックし ているポイントは、本当に文字が書けるのかというミニマム機能だけのように見える。 安かろう悪かろうのメイドインジャパン商品が太平洋戦争と歩を合わせて姿を消し、太平 洋戦争が終わったあと、国内戦争を続けていた中国で中華人民共和国が建国され、国家基 盤が完成したころからいつの間にか「安かろう悪かろうのメイドインチャイナ」が世界の 各国にある低経済消費市場を席捲するようになっていった。「安かろう悪かろうのメイド インジャパン」は駆逐されたのである。いや、そう言うとやぶにらみになりそうだ。日本 産品は低経済消費市場をターゲットにしなくなっただけだから、別に中国産品に追い出さ れたわけではないのだ。[ 続く ]