「クリピッとクルプッ(20)」(2023年09月20日)

油で揚げられてクルプッになったトゥルンとジャロッを仲買人が集めに来る。仲買人は漁
村の中でそれらを作っている家々を回り、集荷する。集められた製品がスラバヤに送られ、
それを受けた流通業者が商品パッケージ袋に詰めて市場に流す。グルシッ〜スラバヤ〜シ
ドアルジョのスーパーマーケットや土産物店には、トラシ・プティス・バンデン魚などと
並んでクルプッという名前の付けられたクリピッのナマコやトゥルンが商品棚を賑やかに
埋めている。


西カリマンタン州ポンティアナッの町でkeladiのクリピッが生産されている。繁栄するク
リピッ生産者になったワリスさんは中部ジャワ州クブメン生まれのジャワ人だ。小卒の学
歴しか持たないかれはポンティアナッにランタウし、タクシー運転手になった。タクシー
運転手になれただけでも自分はたいへんラッキーだったとかれは語っている。

タクシー仕事の暮らしの中でかれはポンティアナッ生まれのジャワ娘と知り合い、結婚し
た。かれの妻トゥミナはかれに幸運をもたらす女神だったとかれは信じている。ある日、
この夫婦と子供が自宅の周囲に自生しているクラディを収穫した。芋をクリピッにしてお
やつを作ろうというわけだ。

クラディというのはタロ芋のようなカラジューム属のイモ類を示す言葉で、特定の種を指
しているのではないように説明されているのだが、現実にインドネシア人は特定のイモを
指してクラディと呼んでいるように思われる。ともかく、夫婦は収穫したイモを小さい棒
状に切って揚げた。すると子供が「これ、おいしいよ」と言う。夫婦も食べてみて、悪く
ないと思った。

「じゃあこれで商売をしてみよう」ということになって、家の脇に小さいワルンを出して
品物を置いてみた。すると意外なことに、隣人たちがおいしいと言ってよく買いに来るよ
うになった。おまけに「こうやって作ればもっとおいしくなるんじゃないか?」と知恵ま
で授けてくれる。まあ、中には外れるものもあったのだろうが、十人寄った知恵の当たり
はずれを取捨選択して、ワリス夫妻のクリピックラディは品質を高めて行った。


家内工業規模の生産者がひとつ誕生したことになる。だが食品製造販売のアントレプルヌ
ールになったワリスはタクシー業をやめなかった。というのも、ポンテイアナッとサンガ
ウを往復するタクシー業のかたわら、かれはポンティアナッとサンガウで商店をまわり、
製品を委託販売することにしたのだ。

客がどこかの土産物屋に寄って買物するとき、かれは自分の商品の売れ行きをチェックし
て、売れた分だけ翌日品物を補給するのである。さらにインターネット販売も開始した。
2004年にクリピックラディ事業を始めたとき、かれが投じた初期資本はたったの10
万ルピアだった。それが今や月間売上6千万ルピアにのぼっている。その半分が利益だそ
うだ。生産量は一日およそ2百キロで、つまり月間生産量6トンというたいへんな規模に
のし上がったのである。


西スマトラ州ブキッティンギの名物にKarupuak Sanjaiというものがある。カルプアッと
いうミナンカバウ語はインドネシア語のクルプッに対応しているのだが、このカルプアッ
サンジャイの現物はだれがどう見ても本論頭書のクリピッの定義に該当している。クリピ
ッが昔はクルプッという言葉に含まれていたことを、あたかもこの事例が証明しているか
のようだ。

サンジャイというのは地名であり、ブキッティンギ市内にあるひとつのナガリ地区の名称
だ。そこがキャッサバのクリピッの生産センターになったことがその名称を生んだように
思われる。ブキッティンギを訪れたら、道路脇に並ぶ土産物屋にうず高く積まれているギ
ンギラギンに赤いクリピッシンコンを必ず目にすること間違いないだろう。[ 続く ]