「クリピッとクルプッ(23)」(2023年09月25日) クリピッとクルプッそして変種のオパッなどをこれまで見てきたが、もうひとつわれわれ の耳目によく触れるempingというものもあるので、これも忘れずに本論に含めたい。たい ていmelinjo/belinjoのタネで作られたものが世間に出回っているために、ンピンムリン ジョという名称がよく使われている。ムリンジョは日本語でグネモンと呼ばれる植物だ。 ムリンジョの実はスープ料理のサユルアサムによく入っているから、たいていのひとが知 っているのではあるまいか。しかしンピンに加工されるのはムリンジョのタネの部分であ り、このタネは硬い外殻に包まれているのでそれを割って中身を取り出さなければ食べら れない。サユルアサムに入っているムリンジョの実も、実の肉を食べ、さらにタネの外殻 を割って中身を食べることができる。中身を食べればもちろんンピンムリンジョの味がす る。だからと言って、サユルアサムを食べるときにボウルに入っているムリンジョの実を タネの中身まで全部食べるひとはそういないだろう。わたしはせいぜい二三個でギブアッ プするのが常だった。だって、ムリンジョの実にかかりきりになっていると、他の人が食 事を終えてしまうのだから。 ンピンにはムリンジョだけでなく、emping berasやemping jagungもある。そんなンピン と呼ばれる食べ物の姿かたちをよく見てみれば、ンピンとは素材を薄いフレーク状に加工 してカリカリにしたもののようだという判断が成り立つように思われる。つまりンピンと いう名称は素材をフレーク状に成形した食べ物というのがその語義なのではあるまいか。 本論頭書に記されたクリピッやクルプッの定義とンピンとの違いはどうやらそれではない かというのがわたしの得た推論である。ちなみに、英語の対応語としてemping jagungは コーンフレーク、emping padi/berasはライスフレークという英語訳が当てられている。 だったらンピンムリンジョはグネモンフレークになるのかな?世の中にあふれているンピ ンムリンジョの形を思い浮かべるなら、その語感はどうも今ひとつフィットせず、昔なが らの人間はついついクルプッと言ってしまいそうになるのである。これはまた、いったい どうした加減なのだろうか? ともあれ、頭書にあるクルプッの定義とンピンは異なっているにもかかわらず、イ_ア語 ウィキペディアのempingのページには「ムリンジョのタネで作られた、クルプッ形態のお やつのひとつ」と解説されている。おいおい、それはンピンという言葉の解説でなくてン ピンムリンジョを説明しており、おまけにクルプッではないんだぞ、と突っ込みたくなる のだが、クルプッという言葉の語義の変化がまだ十分に社会認知されていない状況下に書 かれたものとして、それをクルプッと呼ぶことを受け入れてもよいだろう。 ンピンという言葉だけで素材がムリンジョに限定されてしまうことが起こるのは、それほ どンピンムリンジョが世の中で優勢なためであり、トウモロコシ粒や米粒のンピンがいか に低い社会認知度になっているかをそれが物語っているように思われる。西洋由来の食べ 物で、スーパーの棚に置かれている箱入りのコーンフレークをンピンジャグンと呼ぶイン ドネシア人にわたしはまだお目にかかったことがない。それはまあ、個人体験が宿命的に 持っている広さの限界によるためであり、「だからインドネシア人はだれもそうしないの だ」などという大口をたたく気はわたしに毛頭ないのだが。 それは別の話として、現実にひとびとはンピンをクルプッンピンと呼んでいるのであり、 似たような現象をランバッやブロニョあるいはナマコがクルプッといまだに呼ばれている 事例に見ることができる。要するにクリピッとクルプッの定義分けはクリピッという言葉 がインドネシア語の世界で社会性を持つようになったことによって起こったものであって、 それより昔はクルプッの一語でクリピッやンピンなどをすべて包み込んでいたというのが きっとこの言葉の混乱の実相なのではあるまいか。[ 続く ]