「クリピッとクルプッ(25)」(2023年09月27日)

煎り終わったらまだ熱いうちに外殻を割って中身を出し、それを石の台の上で潰して円盤
状に広げる。潰す前に、石の台の上にプラシートを広げなければならない。そのまま石の
上に潰すと、作ったものを取り外すのがたいへんになるのだから。

まず1個を潰して円盤状に広げる。その上に次の1個を置いて潰し、先の円盤と一体化さ
せながら厚みを薄くして広さを増していくのである。そのようにして一定の広さと厚みの
ある大き目の円盤ができあがる。厚さはだいたい1〜3ミリにするのが普通だ。その作業
が繰り返されてプラシートがいっぱいになると、一枚のプラシートにくっついたたくさん
の生ンピンムリンジョをシートから外し、ザル状の置き板の上に並べて天日干しする。そ
れがカリカリに乾けば製品の完成だ。あとは生のンピンムリンジョを袋に詰めて出荷する
ばかり。


ガリヤン村でンピンムリンジョ作りが始まったのは1950年代のことで、当時の村長の
奥さんが村の産業興しを図って婦人会を動かした。タネの外殻を外すために実を茹でてみ
たがうまく行かない。次に蒸してみたものの、またダメだった。それで煎ってみたところ、
大成功の甘き香りが漂った。こうしてンピンムリンジョの製法が定型化され、村の女性た
ちはみんながそれに従って生産するようになった。

村の各家庭で生産される生ンピンムリンジョには等級が付けられる。薄くて良い形をして
いるのが一級で、別名スーパー級とも呼ばれる。一級になれなかったものは二級、さらに
劣るものは三級だ。基準は厚さと外見の完璧さに置かれていて、言うまでもなく商品価値
に差がつく。

村民が作った製品の中には、同じ村民の流通業者の手で販売網に乗せられるものもある。
トリ・ムルニさん38歳も流通業者のひとりだ。かの女の父親がその事業を始めたそうで、
村の中のおよそ百軒の小規模生産者と提携し、製品を県内外の流通網に流している。ムル
ニさんは近隣各地からンピンの実を仕入れ、それを提携している生産者に渡す。生産者は
それをンピンムリンジョに加工して製品をかの女の倉庫に納入する。生産者は加工を行う
だけであり、この方式によって生産者の材料調達で起こる問題が生産量を狂わすようなこ
とが避けられる。そのようにして毎週4トンの製品が倉庫に入り、それがどんどん流通網
に流されて行く。

プカロガン・トゥガル・チルボン・スマラン・クドゥス・パティそして中部ジャワのさま
ざまな町の在来パサルにガリヤン村のンピンムリンジョが散って行くのだ。スマラン市内
パサルジョハルに送られるのは1トン近い、とムルニさんは語っている。


リンプン郡がンピンムリンジョの生産センターになり、そこで生産される製品が中部ジャ
ワ州から広くは他州、そして更には国外にまで名を轟かせ、市場を牛耳る結果に至ったの
は、決して偶然のできごとでない。リンプン製の生ンピンムリンジョは極めて薄くて向こ
うが透けて見えるのである。更に添加物が使われておらず、油で揚げれば爽快なクリスピ
ーさを愉しむことができる。

ンピンムリンジョに一家言を持つひとにとって、バタン県リンプン郡の名前は黄金に輝く
トロフィーの印象をもたらすものかもしれない。

リンプン産の製品はスラバヤの貿易業者によってアブダビ・サウジ・シンガポール・マレ
ーシア・ブルネイにまで輸出されている。それらの輸出先へは、おやつとしてスーパーマ
ーケットなどの商店で販売されるために輸出されているのである。

もちろん世界中にあるインドネシアレストランでも、ンピンムリンジョは料理に添えられ
て出て来る。その事実をとらえて、そうだから世界中に輸出されている、と言って言えな
いこともないだろうが、輸出という言葉が意味している内容が違っているのだ。[ 続く ]