「ユダヤ人はYahudiそれともYahud?」(2023年09月29日)

ライター: 言語教育学修士、ムリヨ・スニョト
ソース: 2018年6月30日付けコンパス紙 "Yahud" 

ソスメドを飛び交っている情報のパンくずを拾うのに倦んだので、わたしはその余暇を使
って古い愉しみを復活させようと考えた。電波の波のない、紙でできたもの、そう、本を
読むのだ。

本を買って棚に積んどくという趣味がある。そして機会があればときどきそれを読む。決
してそんなに悪いものでもない。読み物が欲しくなれば、積まれた本の山がいつでも相手
をしてくれる。あとは選ぶだけだ。好みは議論する余地などないものだから、十数冊の未
読の本の山の中から今回なぜこれを選び出したのかなどという責任論は無用のことがらだ。

わたしの手にあったのはSemua Berawal dengan Keteladanan, Catatan Kritis Rosihan 
Anwarだった。これは去る2011年4月14日に88歳の生涯を終えた伝説のジャーナ
リストの論説を集めたものだ。このコラムにその論説の要旨を書こうというのでなく、か
れの論説の最後にしばしば登場する間投詞を取り上げようと思うのである。ヤフッという
間投詞は70〜80年代に広く国民一般に普及し、東ジャワの片田舎バルンパンガンでさ
えも大いなる流行を見せた。

その時代を通り越えたら、ロシハンを除いて使用者が見当たらなくなった。ミレニアル世
代はまずこんな言葉を知らないだろう。かれらが親しんでいるのは同じ品詞で同じ用法の
wowだろうから。yahudもwowも魅了された気持ちを表現するものだ。

語源的にwowが外国語に由来しているのは明白だ。少なくともオックスフォード辞典に採
録されている。なら、魅了を示すヤフッの由来はどうなのか?hebringと似たようなもの
なのだろうか?ヘブリンもヤフッと同じ意味の間投詞で、これは形容詞hebatの言葉の一
部を別の面白そうな音に変えたプレセタンだ。


もしも、さらにもう一回もしも、日刊紙Pedomanのオーナー兼創設者が論の最後に好んで
使ったその言葉がプレセタンであったのであれば、ヤフッという言葉を生んだ元の言葉は
Yahudiではないかという仮説をわたしが立てることを、すくなくとも山勘を張るのをお許
しいただきたい。はあ?

もちろんそれはただの当て推量にすぎないわけだが、少しは言語的な理由付けができるよ
うに思われる。KBBI第四版にyahudはhebat, luar biasaという語義が記され、預言者
・使徒・大発明家・大創造者・大思想家を生んだ民族の名称Yahudiの上に並べて記されて
いる。

Yahudiはhebatだ、luar biasaだ、ということを、敵・競争相手・親交者・中立派の誰も
が同意している。Yahudiのそんなイメージはあたかも永遠のように、歴史の始まりから今
日まで確固として続いている。たとえ心の中でだけでも、あなたはこの民族に感謝しなけ
ればならないのだ。ブラウン管の前で腹を抱えて笑い転げさせてくれたり、大渋滞の中で
ビクとも動かない車列から抜けてネズミ道を通るときに迷わないように導いてくれるよう
な恩恵をあなたに与えているのは誰なのか?


きわめてまじめな言語法則は、名詞Yahudiが形容詞yahudを生んだという仮説をあっさり
と否定してくれる。まともなプロセスはその反対なのだ。yahudが名詞にならなければな
らず、それを形容詞化するときに-iを付けるのが平常の理屈なのだから。インドネシア語
の語形成プロセスのひとつがそれなのである。たとえば名詞hewanが形容詞hewaniになる
ように。名詞Yahudが先にあって、それが形容詞yahudiを生んだのだ。ただ、理論が常に
実態に合致しているのでないことも、世の常識ではあるまいか。