「貧困を売り物にする(後)」(2023年10月03日)

電話料金値上げで得られる利益の一部を電話網拡大の資金に充てて、そのトウガラシ農民
の村まで電話を引いてやればよいのだ。視聴者のひとりであるあなたの思考プロセスがこ
の通りでないとしても、要するにあなたはテルコム社の考えを知って首を縦に振り、料金
値上げを受け入れるのである。自分の電話料金支払いが増えるのは、電話網が拡大されて
奥地の村々にまで電話の恩恵が行き渡るようにするための慈善行為なのだ。別の言い方を
するなら、電話料金が上がるのでなく、消費者が同胞国民の不便を改善するために少しば
かりの拠金をするということになる。映画館で入場券を買うときに赤十字寄付金2百ルピ
アを問答無用で徴収されるアレと同じだ。


しかしキミ、今はもう21世紀なんだよ。われわれの人間愛を揺さぶり動かそうと努めた
ところで、上に挙げたような貧困を売り物にするCMは心に迫るものでなくなりつつある
一方だ。ましてや、それが制作者のイメージアップにつながるなんてことも。今日では、
視聴者の心の琴線に触れることすら起こりそうにない。多分おおぜいの視聴者がエーゲ―
ペー(Emangnya Gue Pikirin!)と揶揄しているのではないだろうか?

現代社会はものごとを鵜呑みにしない批判社会であり、そしてビジネス社会だ。世間は尋
ねるだろう。「本当にそうなのか?」と。マージナルな貧困小民を救済するために公共料
金値上げをせざるを得ないというのはホンネなのか?料金値上げを行ったあとでPLNや
テルコムは、A村B村C村に電気が通じる、電話がつながる、という具体的な声明を出す
ことができるのか?

もしも本当にそうであるのなら、公式にその通りのことを発表すればよい。そうすれば、
料金値上げに抗議する者はいなくなるだろう。架空の村の一農夫の姿を示したり、ベンド
ッ氏にセリフを語らせる必要などないのだ。

工場主のアリオンさんがこれまで享受していた補助金の恩恵を石油燃料値上げがすべて無
に帰せしめるというのは本当なのか?石油燃料値上げが金持ち層のオフィスへの通勤をみ
ずから自転車を漕いで行うようにしてしまう、というのは本当なのか?石油燃料値上げは
金持ち層に涙の洪水を引き起こすというのは本当なのか?石油燃料値上げを行なえば貧困
庶民は得をするというのは本当なのか?従来起こっていることを思い返すなら、話の筋が
まったく通っていないとしか思えない。

                  ***

ガルーダインドネシア航空がインドネシアへの観光訪問を盛り上げるためのCMを作った
ことがある。印刷と電子の両メディアに流されたその宣伝広告の内容は、ゴルフ場の池に
落ちたボールを拾うために池に潜る子供の姿を描いたものだ。その子はたまたま池にボー
ルを飛ばしてしまったゴルファーにかれのボールを返してくれるのである。

「ごらんなさい。あなたの周囲にいるインドネシア人はなんと親切で優しいひとびとでし
ょうか。あなたが心置きなくゴルフを楽しめるように、小さい子供ですら喜んで池に潜っ
てあなたのボールを取り戻してくれるのです。」というのがおおよその、その広告が物語
っているメッセージだろう。

本当はこれすら、貧困を売りにしているのだ。「ごらんなさい、インドネシア人がいかに
貧困であるかということを。子供の少年期の時間の過ごし方において、一個のゴルフボー
ルはより大きな価値を持っているのだ。だから早くインドネシアに来て、子供たちを助け
てやってください。」

その宣伝広告は観光客を増やす代わりに嵐をまき起こした。西洋のNGOから強い批判が
湧きおこったのだ。インドネシアはあんなに小さい子供を働かせているのか?学齢の子供
が池でゴルフボール探し商売をしているのを政府が禁止もしないような国に遊びに行こう
なんて、とんでもない話じゃないか。あの政府を国際法廷に引き据えて、やっていること
の責任を取らせなきゃならん!

運よく、ガルーダ航空は即座にその宣伝広告をストップした。


貧困というものは、「売り」にできるものではない。貧困というのは、それにまとわりつ
かれた者が早急に振り払うべき不運なのである。貧困とは、誰かに売るようなことをしな
いで、みんなが一緒になって癒してやらねばならない、この世に存在する醜悪な顔なのだ。
貧困を買いたい者などいない。貧困を気にかける者もいない。貧困者を助けようと常に身
構えている者もいない。

広告宣伝を通そうが通すまいが、われわれは貧困を売り物にするべきではない。公共料金
を値上げしなければならないのであれば、値上げすればいい。電話が敷かれた奥地の村の
トウガラシ農民はきっとテウクウマル通りの大統領邸に電話することだろう。[ 完 ]